読書感想文の選定を完了しました。低学年の書く作文にも、中・高学年のそれにもワンコが出てきます。何百人もの作品を読むにつけ、ああ、凛太郎がパトラッシュ(フランダースの犬)のように優しく、賢い犬だったらなあと、ついつい思ってしまいます。
中三生が巣立っていった。それぞれが見事に栄冠を克ち取って、凛々しい高校生になった。彼らの奮闘を目の当たりにして、君たちは身のひきしまる思いがしただろう。幼児ではないのだ。人の世のかなしみを知り始めた少年たちが、理想と現実の落差に苦悶しながら遭遇する、自らの人生の厳しい自己決定なのだ。どんなにつらかったろう、かなしかったろう。誰もが唇ひき結び、こぶしを握りしめて、阿修羅のごとく果敢に奮闘した。そのような、立ち上がる砂塵の中に、幸田くんが佇立していた。彼はすっくと立ち、その身体は少しも砂埃に汚れてはいなかった。そうして、とつとつと自らの思いを吐露した彼の声が、今、先生の耳朶によみがえる。
中学入試の失敗は、自らの幼い傲慢のゆえであった。成績さえよければいいのだと、実力もないくせに、人を思いやるやさしさもないくせに、自らの優秀を自惚れて疑わなかった。手痛い蹉跌を体験しながら、それに気づかない自分だった。中学生になっても、事情は同じだった。みんなのように真剣に、ひたむきに励んだ覚えはない。勉強と呼べるようなことを、自分はほとんどやらなかった。それなのに、やはり点数と、成績だけはよかった。何故なんだ。俺のせいじゃない。誰が、何がこんなふうに仕向けるんだ。この繰り返される皮肉な現実を自分は憎んだ。が、その憎悪は誰にも向けられない。自分を呪うしかなかった。
初めから考えていた高校でもあった灘高を、幸田くんは受けるのだと言った。充分合格可能な東大寺高校は、合格しても行かないのだと言う。灘高を不合格になって、公立高校へ行き、そこで東大・京大を目指す。一からやり直すのだと言った。それが幸田くんの描いた、あまりにも犠牲の大きい、しかしこの上なく純粋な自己処罰のシナリオであった。先生は彼の告白を聞きながら、少しずつ熱くなってくる自分を感じた。もちろんそれは感動の熱だ。高校生、いや大学生ですら、彼のようには発想できまい。まして近頃の大学生、大人たちの真似をして現実的、打算的な大学生は、彼の爪の垢でも煎じて飲むがいいと、彼を誇らしく思うあまり憎まれ口をききたい思いもした。そしてまた、志望校のすべてに不合格になって、教師を憎み罵倒し、友人や仲間をさえ呪った別の卒園生の精神の幼稚さを思うとき、先生はかなしく、複雑な感慨を覚えた。
二月十七日、灘高合格発表。彼の描いたシナリオは破算した。うれしい破算だった。彼は合格したのだ。まさに捨て身の勝利だった。無私、無心のすばらしい栄冠なのだ。
幸田くんの姿から、君たちは何を学ぶだろう。今、先生は、人の世の正義をつかさどる神の存在を、心から信じたい敬虔な思いがする。
こんなに澄んだ少年のこころ、……凛太郎も持っているでしょうか。いや、もうちょと大きくならないとだめですかね。
