凛太郎が生まれたのは7月28日。だからもう、三ヶ月になり、我が家の一員として、なくてはならない存在になりました。少しずつ大きくなってきて、可愛さも憎たらしさも一人前になりました。飼い始めてまだ一カ月にも充たないのですが、凛太郎なしでは考えられないようになりました。
私の取り返しのつかない行為から、灰谷健次郎さんの作品を想起しました。
「やさしさの問題を語るとき、忘れられない子どもがいる。『先生、なぜぼくをかわいがってくれるのですか』というのを『せんせいなれぼくおかわりってくれですか』としか書けない子だった。かれ、笹尾進は小学五年生だった。かれの頭はラクダの背のように、大きくくびれている。人を見るとき、白い眼で見る。見られたものは、いっしゅん、たじろぐというぐあいだった。
ぼくはかれと手紙帳の交換をはじめた。ぼくは毎日、始業の一時間前に、教室にはいるのだが、かれはいつも一番だった。『よおう、早いな』とぼくがいうと、かれは照れたように体をくねらせて笑った。
かれの書いてくる文章の意味は、ほとんどわからない。ミミズのような文字が不規則に並んでいるだけである。かれが夕飯のことを書いてきているのに、ぼくはお天気のことを書いて、ノートを返しているーそんなことだったのだろう。それでもかれは、手紙帳の交換を心からよろこんでくれていた。ノートを差し出すときのかれの表情で、それがわかるのである。意味の読みとれない文だけれど、かれの書く文章の量はだんだん増えていった。
あるとき、ぼくは、とりかえしのつかないことをいってしまうのである。『こんなに書けるのだから、もう少しわかるように書いてこいよ』かれは、いっしゅん信じられないような顔つきになった。口をあんぐりとあけ、ぼくを見る。かれはその言葉の意味を反すうする。かれの目の色が変わった。
『いらんわい!』
という激しい言葉と同時に、その大学ノートがぼくの顔に投げつけられた。ぼくはどきっとする。しまったと思う。しかし、もう遅い。ぼくがいくらあやまってもついにかれはぼくを許してくれなかった。
このとき笹尾進の心のうちはどのようなものだったろう。やっぱりおまえもか。そういう気持ちだったろう。かれを担任したかつての教師たちのように、ぼくがはじめから無理解な人間として、かれの前に出現していたならば、かれは反抗することによって、魂に深い傷を負うことだけはさけられたかもしれない。かれが白眼をむくのは、かれの意志である。差別者に対するかれの反抗なのだ。かれに対して闇討ちというもっとも卑劣なことを、ぼくはしたのだ。心をひらかせておいて、後から切りつける……教師がそういうことをしたのだ。
さすがにぼくはしょう然とする。かれに謝る。次の日も謝る。次の日も、次の日も……。十日あまり謝りつづけ、ようやく、かれはぼくを許してくれた。それはかれのやさしさであろう。
少しの空白はあったけれど、かれは毎日毎日、文章を書いた。そして、秋に次のような文章が生まれる。それは一編の詩だった。
許しを乞うものにとって、それは、胸に突き刺さるような詩でした。凛太郎もまた、似たような様子を見せてくれるときがあります。誤って高いところから落としたとき、キャンと鳴いて逃げますが、すぐに寄ってきてペロペロと手を舐めてくれるのです。そんなとき、ぎゅっと抱き締めますと、また……噛み付いてきますが……
