今日、凛太郎と二人ずっと家に居て、とがった鼻の辺りをじっと見つめていると、何だか凛太郎のことがこの上なくいとおしくなってきて、このままずっと一緒にいられるのだろうかと、哀しくなりました。この小さないのちを守って、生きていけるのだろうかと切なくなりました。犬のいのちは大体分かっているつもりですが、いつまでも共に生きていけたらとしみじみ思いました。
一月十八日(木) 木谷俊次 この世は金です。金が支配しています。金さえあればどんなことだってできます。僕は、この高校の卒業生の中で、一番出世してみせます。金にとりつかれた亡者のようですが、現実は、金さえあれば、どんな人でも社会的地位は約束されます。現に僕の父なんか、何か事業をしようとしても、銀行や高利貸から借りた他人の金でやらねばならないのです。どんなにみじめであることでしょう。ですから僕は、金を貯めて貯めて、貯めまくって、どんなことをしてでも金もうけをして、自分の子や孫にこんな心配をさせたり、アルバイトなんかさせずに、学生生活や青春を、余裕をもって楽しめるようにしてやるんです。
担任の先生はかなしげに、「いろいろ理屈をつければ問題はありそうですが、よしましょう。とにかく頑張ってみてください。」とだけ書き添えられた。それぞれの生徒の事情を思いやられて、いたずらに理想論を対置することを避けられたようだった。日本はまだ貧しかった。
さらに、翌十九日の日誌には、「勉強がいやな人は学生として失格だ。社会もそれと同じで、社会機構に早く慣れ、それを好きになった者が勝利者だ。いつまでも社会に順応しない者は敗北者だ。」という木谷くんの主張に与する意見が続いた。
君はどう思うだろう。彼らが今、君のお父さんと同年輩になっているだけに、それぞれの主張は何かしら生々しい感じがするが、兄にはやはり、木谷くんの考え方はひどくかなしい。あんなふうに言った木谷くんはしかし、心も身体も清潔で初々しい高校生だったのだ。それがもとの木谷くんだったのだ。
その後、小賢しく心ない大人たちの理屈にからめとられて、泥濘のような現実の中でもがいたとしても、恐らくは君と同じ年頃の息子や娘の父親である今、懸命にその汚泥を拭い落とそうと精進しておられるにちがいないと思う。祈るような思いで自身の心を磨いておられるにちがいないと信じたい。決して財テクブームに血眼になったりなどしておられないと思いたい。大量の磨砂を手に入れられたんだから。自分を映す他者という名の鏡を、何枚も割ってはまた慈しんでこられたんだから。
君よ、君の純粋を守れ。生きることは厚顔無恥になることではないと思う。次々と重荷を増やして呻かねばならないさだめなど、もともと無いのだと思う。自らの純粋な本性にくっついた不純物を、少しずつ、祈りながらそぎ落としていく。それが、生きていくことではないかと、兄は今、ふと思う。
期せずして、冒頭の凛太郎に抱いた思いと同じ、生きるというテーマのまとめでこの回を終ります。さんざん悪いことをして、指を噛みまくっては呻り声をあげていた凛太郎も、日付が変わっておとなしく寝息をたてています。
