凛太郎がやって来て、ちょうど1週刊が経ちました。あれこれありましたが、我が家に慣れて、もうすっかり児玉凛太郎になりました。今日は、玄関前の駐車場、コンクリートの三和土に、凛太郎のウンチおしっこスペースを造ってやろうと奮闘中です。が、朝から掃除機恐怖症候群にかかって、当の凛太郎はおとなしく睡眠中です。
洛◯高校の体育の先生のエッセイです。素敵な先生だということが分かりますよ。
中学の頃から陸上競技一筋に歩んできた私には、たくさんの本との出会いがあったわけもなく、陸上競技の専門誌は読みあさったものの専門外になると興味を持たず、特に文学物となると皆目見当もつかない有様です。
そんな、本とは無縁に思えた中学三年生の頃、陸上部の顧問として国語科の先生が入ってこられました。その先生に、順調に過ぎていく試合の終りに渡された一冊の本が、中島敦著の『山月記』でした。しかしながら、まだ中学生の私に『山月記』は難しすぎ、最初は内容も分からず、とにかく読破を目指したものです。ご存知の通り、『山月記』は中国のお話で、主人公である李徴が、自分の才能を信じすぎるがあまり自尊心に溺れ、次第に人との交わりを絶ち、やがてはその姿を虎へと変えてしまう、というあらすじであったと思います。なぜ、あの時、この一冊の本を渡されたのか、どうしてその頃読まなければならなかったのか、それが分かったのは高校に入ってからでした。何の躊躇もなく陸上部に入部した一年目は、順風満帆に過ぎて行きました。そんな中で、幼き自尊心とも言うべきものが、知らず知らずのうちに植えつけられ、やがては人の話にも耳を傾けず、あたかも自分の力だけでやっているかのごとく……。私にとってその傲慢な心が、『山月記』の中でいう「虎」でした。その心の中の虎が姿をあらわしたのは二年生になって間もなくのことでした。自分の不注意から怪我を負い、走るに走れない、跳ぶに跳べない一年間を送りました。そんな私を救ってくれたのが、恩師の温かい心遣いとこの一冊だったのではないかと思っています。『山月記』の一文に、「己は、詩によって名を成そうと思いながら進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に務めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。……」とあります。そんな時、今もいろんな思いを込めてこの一冊『山月記』を読むことにしています。私の人生の支えの一つとして。(洛◯高校『図書館通信』より転載させていただきました)
とにかく作品を読んでください。高慢・謙虚・そして自己批判。大切なテーマをもう一回、次回は山本周五郎と一緒に考えてみましょう。
そんなテーマとは無関係に、凛太郎は今日も元気にやっています。……いや、実は、ちっこいワンコに過ぎない凛太郎の中にも、謙虚で直向な感性があるのかもしれませんね。
