明日、土曜日、初めて凛太郎を一人・・一匹・・・にして会社に出てみます。引退したと言ってもまだ、事務職は続けていまして、作文や読書の業務をしていま・・・す・・・はずだったのが、30年勤めたこの塾は、とうとう作文集も出さなくなり、図書の新刊も入れなくなりました。私の居場所はもうなくなりました。今は新聞を渉猟して、教育記事などを細々と集めています。私のことなんかより、この塾の質的変貌を嘆くのみです。
とまれ、さて、凛太郎、朝9時から夜8時まで、ちゃんと留守番していてくれるかどうか、不安です。
この作品をどう読むか?・・・兄の提起はこうだ。「主人公李徴はつまり君なのだ。」そこで、次のような李徴の独白を聞いてほしい。
「人間であった時、己は努めて人との交わりを避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に務めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙いとによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になったのだ。」
中学時代、文学少年であり、早熟であった兄は、周囲の仲間がみな幼稚に見えた。自分一人が孤高であったからこの作品は、殊にこの一節はまさに出会いだった。自尊心という名の高い山の頂上から、兄は真っ逆さまに墜ちた。心の中でボロボロ涙を流して李徴に自分を重ねたのだ。
そして、この「山月記」に対する、中学生たちの感想や思いが、熱い作文になって次回から続きます。しかし、それよりも今、とにかく心配なのは、明日の凛太郎留守番大作戦です。果たして結末は如何に・・・
