資料によると、天竜川河口から5キロ地点、天竜川西岸の我が家から7~9k地点が緑十字機不時着場所のようです。

M4熊切さんの実家は、さらに東へ10キロくらいでしょうか?城東村も大東町も地名から消えて掛川市のようですね。

もっとも、M4二橋さんの三ヶ日も浜松市になった、故郷を離れて五十二年を実感するところです。

 磐田市袖浦に叔母の嫁ぎ先があり、よく聞かされた終戦秘話です。

<浜松基地(飛行場) M4高橋実家:南区西町 緑十字機墜落地点:磐田市袖浦海岸>

 

さて、この天竜川河口は、大東亜戦争末期の重要ポイントでした。

サイパン島を飛び立ったB29爆撃機群は、富士山目掛けて北上、浜名湖と駿河湾を東西に結ぶ海岸線を底辺に

一直線に南下する天竜川河口地点で日本列島に到着し東西に分岐して京浜と中京関西の要地に向かった様です。

日本爆撃終了後のサイパン島への帰路集合地点も浜松上空/天竜川河口、残った爆弾は浜松周辺に落とすとの

命令があったとのことで、地方都市での爆撃被害は最多と言われ、とりわけ戦後の不発弾処理件数は

東京大阪をしのぐ量のようで、昭和三十年代までおよび、小学生ころ不発弾処理の爆音を聴いた記憶もあります。

その後も新幹線工事や浜松駅周辺再開発工事の度に「不発弾処理で東海道本線新幹線運休」のニュースがありました。

 

そんな因縁の天竜川河口付近に、終戦所為交渉中の緑十字機が燃料切れで不時着。同書によると砂浜の海岸線に

見事な着水胴体着陸、外交官の怪我人一名で十四名全員が無事に八時間後には浜松飛行場から陸軍機で東京に

帰還している。

などなど、終戦記念日をはさんで読み進めていました。まずは、最近の読書まで。