12月18日李登輝友の会忘年会”日台共栄の夕べ”に参加、この場を借りた新潟の長老と埼玉,福島(筆者),宮城,岩手の5名の李登輝学校台北研修会有志同窓会で、開会前の靖国神社境内休憩所・八千代食堂に集合した。

 五名のうち4名は、東日本大震災の11月に台湾阿里山山頂ホテルで出逢った。李登輝学校台北研修会ツアーで、その後阿里山山頂からの新高山(玉山)御来光,高座会元日本青年(少年工)同窓会,北回帰線碑などなど強い印象の旅の始まりだった。

 その後の四名の集いは続き、数年後には、

後方右から新潟長老,宮城,埼玉,福島(筆者)四氏と宮城氏のお嬢さん(阿里山山頂も同行)の五名が集う。

 

はじめに//明石元二郎顕彰碑を福岡に訪ねる

 安倍元総理暗殺とチャイナ共産党ミサイル着弾のあった令和4年、その年末に国防予算増税議論とか?隣国チャイナ共産党の巨大軍備をまえに陳腐な議論しかしない国会議員と政府、100数年前の国難に対処した政府と軍人の動きに目を向けてみる。

 近代の国難はロシア軍襲来で、文久元年1861年のロシア軍艦対馬占領事件(江戸幕府がイギリス海軍を利用した巧みな外交で対処する)その後の江戸明治政府は、富国強兵へと舵を切り「国を富ませて兵力を養う」高度国防国家を作りロシア軍に備える。この夏の暗殺事件直後の7月22日「国防最前線対馬壱岐ツアー」の前日に、ロシア軍と一人で戦った軍人・明石元二郎の顕彰碑そ玄界灘を望む筥崎宮参道に訪ねた。

 福岡筥崎宮、亀山上皇から下賜された「敵国降伏」(てきこくこうふく)のご宸筆(しんぴつ/天皇,上皇がみずから筆をとって書いた文書)のある八幡様で、『社殿は文永11年(西暦1274)蒙古襲来により炎上した』とあり、まさに国防最前線の地だ。ある友人が「東国三河から防人の一人として」と九州工場赴任を語ったのを思い出した。

かっての首相談話//真逆の「李登輝元総統のメッセージ」

 この春4月下旬に、『明石元二郎の顕彰碑が生誕の地・福岡で除幕』との報道があり対馬壱岐の旅をまえに訪ねた。

『明石元二郎大将は、電力鉄道はじめ台湾のインフラ整備に尽力された功労者の一人だが、大佐時代の日露戦争期のヨーロッパで対ロシア謀略戦を指揮してロシアを後方から大混乱に陥れ奉天会戦や日本海海戦の勝利とともに日露戦争勝利の三大要因とされ、のちにドイツ皇帝ウィルヘルム2世は「明石一人で20万人の日本軍に匹敵する戦果をあげた」と称えたと記事にある』

 ここで、明石元二郎の日露戦争勝利と台湾での功績を挙げるのは、ことし令和4年に起きたウクライナ戦争、台湾沖,石垣島沖ミサイル着弾というう危機と密接に関連しています。靖国パール博士碑/広島大亜細亜悲願の碑の「抑圧されたアジアの解放のため」の大東亜戦争の結果のアジア諸国の独立につながっているからです。日露戦争に日本が負けていれば現在の日本はウクライナになり、その後の日本がなければ、アジアアフリカは欧米白人の植民地支配のままで、現在の国際世界ではないでしょう。この日露戦争勝利の要因の一つを成した明石大将が顕彰されるのは、国防の節目の年に相応しいことだと、福岡に訪ねた。

 

 かって『とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました』との首相談話を語った無知蒙昧の輩がいた。東京裁判ただ一人の国際法法律家が「わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。」の結果である『「抑圧されたアジアの解放のため」との日本の戦争目的』の真逆の首相談話だった。こんな無知蒙昧の輩を選んでいた同時代の一人として恥じ入るしかない。

 顕彰碑の左側に「李登輝元総統のメッセージ」があり感謝と尊敬の念が綴られています。『「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」首相談話』の真逆である、日本と日本人への感謝が示されているのです。

 

“いわき”からチャイナ,満州そして台湾//わたしの東アジア体験//日本人への信用,尊敬と感謝

  わたしは初めての満州旅行の大連発瀋陽行きの車中で隣に座った中国老人から「次の瀋陽で児玉公園に行きなさい児玉大将は偉かった」ときれいな日本語で話しかけられ「車窓の並行する道路に目を向け、南にむかう車は荷物満載で北に戻るのは殆ど空です」「こうして満州から北京へ、あらゆるものが吸い上げられた」「日本人と一緒に作った満州の富で北京が栄えている」と、中国北京への怒りを語った。

 また、ある時の中国国内ツアーの張家界発厦門行きの機中で中国人青年から「何故、日本軍は早く武漢に来なかったんだ。だから台湾人に馬鹿にされる」と中国語で話しかけられる。20数年前で中国語会話のできるとわかった日本人に「わたしは台湾企業に勤める武漢人、台湾は五十年日本人だった。東北も日本だった。日本のところは工業技術の学校が進んでいる」「武漢は日本が来るのが遅かった」と、わたしが解るように懸命に話した。 

 その後、ほぼ台湾人が仕切っていた福建省厦門の厦門人社長の企業で日本企業担当副総経理を七年ほど勤めた。その厦門人社長曰く「中国人企業はまったく信用できない金を払ってくれない」「日本企業としか仕事はできない」と、かって私の部下だった台湾人を介して北京第二外語の学生寮にいたわたしに電話があり「すぐに厦門に来てほしい、航空券おくった」と二〇〇二年11月下旬のこと、7年の厦門生活の始まりでした。

 わたしの中国東北人(満州),南蒙古人,上海人,武漢人,厦門人,台湾人との交流体験では、表向きの反日より本当は内心での日本人への感謝と尊敬が多数を占める。

 台湾旅行での台北反日ツアーに相乗りした中国人青年は、わたしが日本人だとわかると運転手さんを通訳にして人懐っこく話しかける。「厦門の会社に仕事で7年いた中国語も喋れるよ」と中国語で話しかけると、突然に辛そうな口調で「僕たち中国人は中国共産党が無くならないと幸せになれない」と、運転手さんが日本語に通訳する。「彼は上海の大学生だ」とのこと。「日本人とわかると安心して本当のことをしゃべるね。」とは運転手さんの解説だった。

 

おわりに//中国共産党が無くならないと幸せになれない

 『わたしの中国東北人(満州),南蒙古人,上海人,武漢人,厦門人,台湾人との交流体験』との通り漢民族の中国は種々の言葉も歴史も異なる民族の集合体で、チベットと東トルキスタン(新疆ウイグル)は70数年前まで全くの独立国で言語,宗教,歴史文化伝統の違う民族,国家です。

 以上の言語,宗教,歴史文化伝統の違う民族,国家を強制的に連行して植民地奴隷支配しているのが、習近平の中華人民共和国です。

 こんな隣国チャイナ共産党がの存在が、石垣島沖ミサイル着弾で知らされた令和4年の夏でした。『中国共産党が無くならないと幸せになれない』思い起こされる年の瀬です。