12月10日、『井上和彦氏・大高未貴氏 特別講演会  in靖国』参加で靖国神社へ。

靖国神社遊就館まえには、軍馬,軍用鳩,軍用犬の像

その靖国神社の遊就館前広場には、馬、鳩、そしてシェパードを象った銅像が並んでおり、「正式名称は、馬の像が「戦没馬慰霊像」、鳩の像が「鳩魂塔」、シェパードの像が「軍犬慰霊像」と呼んでいます」とのこと。靖国神社には亡くなった軍人兵隊さんの戦友として、馬、鳩、犬の動物たちも祀られています。

「母の像」と並んで「パール博士顕彰碑」//その原型は、広島の「大亜細亜悲願之碑」

 これらの前方には、「母の像」と並んで「パール博士顕彰碑」があり、『インドのラダ・ビノード・パール博士は、昭和21年の極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判で唯一の国際法を専門とする裁判官として本裁判の違法性を指摘し、被告全員の無罪を主張しました。』と解説ににあります。ここでは、その原型ともなった思われる広島の「大亜細亜悲願之碑」を紹介しながら、このブログの主題でのある「日本のこころ」「戦後社会のウソ」について考えてみます。

大亜細亜悲願之碑を訪ねる//広島《過ちは繰返さぬ》という“言語明瞭意味不明”の原爆碑への静かな反証

 この秋10月11日、井上和彦氏・大高未貴氏歴史ツアー「愛媛で知る大東亜戦争感動物語」のあと広島を訪ねて広島護国神社参拝して大亜細亜悲願之碑のある本照寺へ直行しました。パール博士の「残虐な爆弾を《実験》として広島に投下した。同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。そこに人種的偏見はなかったか。しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない。彼らの手はまだ清められていない」原爆爆心地付近の《過ちは繰返さぬ》という“言語明瞭意味不明”の碑を見るに忍びなかった、その気がなかったからです。

 この大亜細亜悲願之碑文「大地深く打ちこまれた悲願は消えない 抑圧されたアジアの解放のため その厳粛なる誓にいのち捧げた魂の上に幸あれ」に、抑圧されたアジアの解放のため昭和20年まで日本と日本人が戦った大東亜戦争の目的と結果が込められています。ある意味で《過ちは繰返さぬ》という“言語明瞭意味不明”の原爆碑へのパール博士の静かな反証かと、思います。

<碑文(碑面に沿って改行)>

激動し変転する歴史の流れの中に

 道一筋につらなる幾多の人達が

 万斛の思いを抱いて 死んでいった

 しかし

 大地深く打ちこまれた

 悲願は消えない
抑圧されたアジアの

解放のため その厳粛

なる誓にいのち捧げた

魂の上に幸あれ
ああ 真理よ

あなたは我が心の

中に在るその啓示

に従って我は進む
一九五二年一一月五日
ラダビノード・パール

 

極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事、ラダ・ビノード・パール博士の言葉▼田中正明著 『パール博士のことば : 東京裁判後、来日されたときの挿話』 下中記念財団 より』を一部抄録しながら考えてみました。

罪の意識を日本人の心に植えつける ////罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆく//誤られた歴史は書きかえられ

「わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争勃発にいたる事実の歴史を、どうかわたくしの判決文を通して充分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤れた歴史は書きかえられねばならない。」

 これらのパール博士の言葉を読んで、身体の震えるほど感動したのを覚えています。わたしたちが受けた教育は「誤られた歴史は書きかえられねば」ならないものだったのです。この誤りが昭和20年12月以降続いているのです。

「太平洋戦争」という呼び名に//半独立国日本「戦後社会のウソ」も継続中

「日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ!とわたくしはいいたい。」

 「第二次世界大戦の終戦までは「大東亜戦争」という呼び名であった戦争は、GHQによって「太平洋戦争」という呼び名に書き換えられた」とあり、昭和27年4月28日に主権が回復したはずですが、誤った歴史どころか正しい日本語も改めていません。パール博士の「しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい」の半独立国日本であり、残念ながら「戦後社会のウソ」も継続中と言えます。