「勤労感謝の日」、ほんとうは「新嘗祭」(にいなめさい)//本物とニセモノ//戦後社会は壮大な異常社会

 きょう11月23日の「勤労感謝の日」、ほんとうは「新嘗祭」です。「勤労感謝の日」は昭和20年にアメリカ軍に占領された日本政府がつくったニセモノの一つ。このニセモノが、間違いだらけの自称平和憲法と共にもう72年も日本にあります。いまの日本社会は大変に残念ながら壮大なニセモノ社会とも言えます。この11月は、3日が文化の日ほんとうは明治の日、23日が新嘗祭、25日作家三島由紀夫自決の日。昭和45年11月25日に本物の日本人作家三島由紀夫さんが自決しました。本物がニセモノ勢力に殺された日とも言えます。11月25日には「憂国忌」という慰霊祭が、毎年開かれて多くの本物の日本人が集まって故人を慰霊します。「【生中継】第五十回「憂国忌」 - YouTube」(Ctrl右クリック)でYouTube動画が観られます。▼ここでの「ニセモノ」は、わたしたちが製造現場でよく使っていた「異常」とも云えます。そう、戦後社会は壮大な異常社会。現場で書かされた「異常処理報告書」は何枚になるのでしょうか・・・???

 

「新嘗祭」は五穀豊穣を神様に祈り感謝しする日

 11月23日の新嘗祭は、天皇陛下がその年に収穫されたお米をはじめ五穀(五種類の穀物)を天神地祇(天上天下の神様)に供えて感謝の奉告をし、これらを神からの賜りものとして陛下ご本人も食する祈りの儀式です。皇居の宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われ、同じ日に全国の神社でも行われています。日本社会は多くのニセモノ勢力に支配されていますが、天皇陛下ご一人の祈りの力で守られているとも言えます。▼本物の三島由紀夫,安倍晋三はニセモノに殺されました。今年9月の安倍首相国葬の日には、大声のニセモノ勢力による国葬反対があり、さらにより多くの本物の日本人による粛々とした黙祷の列があり、時間切れとなったその長蛇の列は、靖国神社に向かったとの情報がありました。

 

本物、ニセモノ、粗悪品//善人、悪人、極悪人

ここで、上記の11/18虎ノ門ニュース最終回での藤井厳喜さんの世界分析図を参考に、わたしの本論を次の通りに整理しまとめてみました。

(A)本物=善人=トランプ,安倍晋三 民主国家本物愛国日本人群

(B) ニセモノ=悪人=バイデン,キシダ首相 無国籍グローバリズム反日日本人勢力=ウクライナ戦争を主導

(C) 粗悪品=極悪人=習近平チャイナ,プーチン 専制主義国家群=一部反日日本人

 

国防,国難に殉じた軍人,政治家への顕彰と慰霊

 さて、軍服姿樋口中将の銅像建立の今日的意義に話を進めます。樋口中将の功績はユダヤ難民救出と北海道防衛が挙げられ、その顕彰と慰霊として軍服姿の銅像建立となりました。まず軍人の顕彰と慰霊が、ウクライナ戦争と安倍首相暗殺,チャイナ共産党のミサイル着弾を背景になされたことに大きな意義を感じます。国防の危機と国防の先頭者(安部首相)の喪失のいま、人道的な諜報と国防の先達である樋口季一郎中将の顕彰と慰霊の銅像建立に、日本を守る八百万の神々の神意と日本と世界の平和安寧を祈り続ける天皇陛下の御心があり、本物日本人愛国者の声なき声,多くの静かな国葬黙祷者の列が加わっていると思います。さらに加えるなら、この銅像建立と国葬黙祷にみる国防,国難に殉じた軍人,政治家への顕彰(功績をたたえて広く世間に知らせること)と慰霊(故人の霊魂をなぐさめ祈ること)が、公然と行われた事実こそ意義あることだと思います。公人の恥ともいえる政治家の靖国神社への参拝忌避,躊躇が続いたここ数十年を観てきた者には、画期的な動きです。

 

東京裁判こそ世紀のニセモノ裁判//ニセモノを消去で本物日本を

 いま一つの軍服姿樋口中将の銅像建立の今日的意義は、東京裁判の全面否定を意味することです。樋口中将の第一の功績はソ満国境・オトポールからのユダヤ難民救出です。この背景には当時の関東軍参謀長東条英機中将(当時)の人道的配慮によるユダヤ難民救出支持があり、当時の日本政府の全面支持がありました。人道的見地から大量のユダヤ難民を救出した日本政府と東条英機大将らを、「平和に対する罪」で極刑を課しました。その東京裁判を主宰し実行したのは極東米軍・アメリカ合衆国と連合国です。その後の連合国・国際連合は、現在のウクライナ戦争に至るまで平和を実現していません。▼日本政府と東条英機大将らを、「平和に対する罪」で極刑を課した東京裁判こそ世紀のニセモノ裁判で大規模な茶番劇だったのです。世紀のニセモノ裁判間違いだらけの自称平和憲法の誤りを正して真の平和国家建設のための国防経済と国防軍への自衛隊改変の秋(とき)を迎えています。明後日の十一月二十五日は『われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。 これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。』と死を賭して叫んだ三島由紀夫自決から五十二年目の「憂国忌」、ニセモノを消去して本物日本を作りたいものです。