朝鮮愛国者金玉均暗殺と福沢諭吉の『脱亜論』

近現代史についても次のような問題提起がある。

(引用はじめ)たとえば朝鮮半島をめぐる近現代史と

て、GHQが歴史文書を抹殺したため真相がねじ曲げら

れるか、抹殺され、出鱈目な歴史に書き直された。左

翼のでっち上げ解釈や戦後の偏向教科書とは異なる

視点から歴史を客観的事実を証明してゆくこと

で・・・歴史の真相が浮かび上がる(引用おわり)

と、我々が少ししか知らされなかった実例を挙げる。

(引用はじめ)・・・絶望的な朝鮮にも真の愛国者は

いた。安重根ではない金玉均である・・・明治維新に

刺激を受けて日本に遊学した科挙免許をもつ思想家、

書家・・・クーデター日本に亡命・・・彼を猛烈に支

援したひとりが福沢諭吉だった。ところが、本人は上

海で暗殺され死体は朝鮮に運ばれ切り刻んで晒され

る。福沢は『朝鮮独立党の処刑』という記事のなかで

「妖魔悪鬼の地獄国」「ただ悲哀に絶えず」と書く。

その直後に福沢は「(こんな)シナや朝鮮と日本が同

じだと思われては日本のためにならない、我々はもう

縁を切って自分たちのことを考えよう」と、『脱亜論』

を出版した。(引用おわり)

 福沢諭吉が慶応大学設立のほかに、明治維新に影響

され来日した孫文や金玉均を支援し、絶望して『脱亜

論』を書いたことや、韓国が語らない真の愛国者・金

玉均とその死の顛末など、戦後歴史教科書が抹殺した

「客観的事実としての歴史の真相」が浮かび上がる。

吉田松陰・特攻隊大西中将の自刃・三島由紀夫

「特攻隊生みの親、大西中将の自刃」の章では、

(引用はじめ)日本は大東亜戦争に突入し、このとき

戦地に赴く多くの兵士の胸には吉田松陰が大きな支

柱だった。・・・(特攻隊の)隊員たちは進んでお国の

ために尊い命を捧げた。・・・英霊たちは戦後、いか

にだらしなく魂が抜けてしまった敗北主義に満ちて

いるかを苛立ちと怒りで見ているだろう。・・・大西

瀧治郎中将は、最初に特攻隊を戦場に送り出す訓示で、

「日本はまさに危機である。この危機を救いうるもの

は、大臣でも大将でも・・・自分のような長官でもな

い。それは諸子の如き純真で気力に満ちた若い人々の

みである。したがって、自分は一億国民に代わって皆

にお願いする。(後略)」と述べた。・・・特攻隊員の

ひとりは「死を嫌い、兵をいやに思う自分が・・・必

死を予想される飛行機を選び、祖国のために喜んで死

んでゆく事実を世の人は心してみるがいい」(昭和十

八年九月二十三日)と日記に残した。・・・敗戦の翌

日、大西中将は責任をとって壮絶な切腹を遂げた「遺

書」(部分)「特攻隊の英霊にもうす、善く戦いたり深

謝す(中略)吾死を以て旧部下の英霊と遺族に謝せん

とす」(引用おわり)

「吉田松陰と三島由紀夫」の章では

(引用はじめ)「反革命宣言」のなかで、三島は高ら

かに「行動」を宣言した。「われわれは、護るべき日

本の文化・伝統の最後の保持者であり、最後の代表者

であり、且つその精華であることを以て自ら任ずる。

(中略)自らを最後の者とした行動原理こそ、神風特

攻隊の行動原理であり、特攻隊員は『あとに続く者あ

るを信ず』という遺書をのこした」だからこそ「戦い

は一回であるべきであり、生死を賭けた戦いであるべ

きでなくてはならぬ。・・・判定を下すものは歴史で

あり、精神の価値であり、道義性である」そこには政

治的打算も有効性もなく、「民衆の罵詈誹謗、嘲弄、

挑発をものともせず、かれらの蝕まれた日本精神を覚

醒させるべく、一死を以てこれにあたらねばならぬ」

(引用おわり)