11月1日横浜の知人宅に電話、「静岡,浜松でお世
話になった者です、お変わりありませんか」と問うと
「7月に亡くなりました。本人が周囲に知らせないと
の意向で親族のみで葬儀を」との報、享年90余歳。
まさに老兵は死なずと、静かに人生を閉じた、合掌。
静岡県出身の関さんは、昭和15年開催予定の東京
オリンピックに間に合うよう準備されたテレビ中継
計画に浜松高工(当時)から参画した技術者の一員。
ご本人の記録に「昭和14年12月浜松高工無線工学科
を修了と共に、東京世田谷の日本放送協会研究所の入
社」とある。昭和15年の東京五輪を控え、3月卒業
を待たずの「学徒非常呼集のような」前年12月入社
に、当時の切迫した様子がうかがえる。
この関さんはNHKテレビ技術者を誇りとされ、平成
20年には「昭和15年わが国最初のテレビドラマ」と
「担当したNHK技研スタッフ」を、平成25年は「テ
レビの灯をともす」「NHK静岡 日本平テレビ放送所
開局」を、ご自身の若き雄姿の写真とともに懐かしみ
年賀状にて紹介されている。
関さんとわたしは、『濱名郡河輪村蒲島』(現・浜松
市南区西町)の旧家「関家」で明治生まれ老夫婦に、
お世話になった。現在、「はましん」西町支店があり
東隣がわたしの実家だ。関さんは、この老夫婦の甥と
して浜松一中, 浜松高工の計6年間を、わたしは、生
後5か月で生母を亡くしてまもなくより、小学校卒業
の間際の昭和37年2月までの11年余を、この地で育
った同郷。「明治気質のおじいさんとおばあさん」と
いう共通の育ての親の長兄と末弟ともいえる。
7月に亡くなられた関さん、9月の「東京五輪開催
決定」を、お元気ならどのように聞いたろうか。昭和
39年東京五輪すら歴史の一コマとなったいま、昭和
15年開催予定の東京五輪、NHKテレビ中継準備、浜松か
らの多数の「技術者学徒出陣」などを知る人は少ない。
一人の「元祖東京五輪テレビ技術者」とともに、ふるさ
と浜松発の「浜松高工方式テレビ技術」が高柳健次郎
氏の指導のもとで、昭和15年東京五輪開催準備のNHK技
研を舞台に開花し、戦後のテレビ放送,テレビ輸出の
礎となったことに想いを馳せたい。