11月23日勤労感謝の日、久しぶりで国旗を掲げ、

友人からの誘いを幸いにと、運動公園に走りに出かける。

往復14キロに9キロ一周コースを加え23kをゆっくり3時間。

これまた久々にプログ旅行記を書き始める、90%書き終え

地名確認をしているとパソコンエラー、下書きボタンを押して

なかった書き込みは、消えてしまった・・・。

 この日本の伝統行事「新嘗祭(にいなめさい)」を、勤労

感謝の日などという”意味不明”にした”祟り”だと思いながら

復元作業に・・・。


<第五日>紹興後半・その2


「空二モ書カン」祖国への祈り 大きな魯迅の坐像>


「空二モ書カン」祖国への祈り <魯迅祖居(生家)>

  魯迅記念館を出ると大きな魯迅の坐像があり、通りを眺め

ている。この通りは歩行街(歩行者天国)となっており、

魯迅ゆかりの祖居(生家)、百草園、三味書屋などが整備され

愛国主義教育基地になっている。

「空二モ書カン」祖国への祈り

 一角の壁面には「民族脊梁」と大書され、魯迅を民族の背骨と

位置づけ讃えている。この前で、日本には背骨があったろうか?

愛国をいえば「右翼だ、空気が読めない奴」などと阻害し、

背骨どころか魂すら嬉々として外国に売り飛ばす日本人が

大多数を占めた六十数年の戦後体制に暗然とする・・・。

 一方で中国は着々と愛国教育をしている。「愛国無罪の

中国、愛国蔑視の日本」「愛国重視の世界、愛国軽視の日本」

世界の非常識に陥っている祖国・日本は生き残れるだろうか?

と、思いながら愛国主義教育基地・魯迅街を出る。


「空二モ書カン」祖国への祈り <詩人・陸游>
「空二モ書カン」祖国への祈り <沈園(瀋園>

  魯迅街を一歩出ると観光客もまばら、静かな沈園(瀋園)に入る。

南宋の詩人・陸游ゆかりの庭園。

 さて、三輪タクシーのオジさんに置き去りにされ、紹興駅まで徒歩に。

「紹興散歩」に切り替えて魯迅街、居酒屋・咸亨酒店のまえを経て

中央通り・解放路に戻る。7年住んだ厦門(アモイ)の下町に似た

商店街を眺めながら駅の方向に。

「空二モ書カン」祖国への祈り <秋瑾像眼差し>

 午前中通った秋瑾記念碑がみえる、かたわらの秋瑾像の眼差しを

カメラに。辛亥革命を目前に処刑された彼女は現在の中国を

どのように見ているのだろう??

「空二モ書カン」祖国への祈り <大善塔の夕陽>
 さらに駅へと、左手の公園の木陰に古い塔が見える。大善塔と

地図に、南朝時代(西暦504年)に建造,高さ40.5mとガイドに。

後方の山あいに落陽、夕方のラッシュ・車,自転車、人々の洪水に

逆行して紹興駅に到着。


「空二モ書カン」祖国への祈り-キップ(復)
 帰りの切符は18:33、発車5分前までホームに入れない、

時間通りの動車(高速鉄道)に乗車、わたしの7号車07F

席には若者が座っている。「ここは、わたしの座席」と

チケットを示すと、黙って席を立つ。立ち乗り切符の

着席者のようだ。無事に着席、目の前の背もたれテーブル

には、読み捨てられた雑誌,新聞,パンフレットの山積み、

掃除の小姐(女性服務員)も片付けない・・・。

 夕食時間になりカップラーメンにお湯を満たした人が通路を

行き交う、右前の女性客がカップラーメンを食べ始める、同時

に大声で携帯電話も。と、いつもの「中国新幹線風景」が始ま

る。昨年7月下旬のほぼこの時間、何杯のカップラーメンが

吹っ飛び、200何名が死んだのか?と思いながら放置された

新聞、雑誌をみていると、無事に定刻20:33上海虹橋到着。

  

 急いで地下鉄で、友人が店長をしている日本料理店に。

遅い夕食を取りながら、500ccペットボトルの紹興酒の密閉

梱包を依頼、キャップをテープで巻きビニール袋二重梱包

に。安心して厦門大学2週間同窓の女性店長と情報交換。

「なぜ、厦門大学大学院生から上海日本料理店に??」

「大学院の卒業論文が終わらないとき、静岡の日本料理

店の上海出店、店長スカウトの話が」(友人は静岡出身)

卒業論文担当教授に「袖の下」(贈り物,ワイロ)を送る

習慣のない日本人学生は、教授の論文のOKも、就職

推薦もない意地悪にはまるケースが多いようだ。こんな

事情の時のふるさとからスカウトの話に就職したという。


「空二モ書カン」祖国への祈り <バスの中の電動バイク>

 話していると午後10時、地下鉄が終電になるという。

東京の感覚でいたが、大都市上海も事情がちがう。

地下鉄駅は、シャッター閉鎖。バス停に10:30終車が

最終バスに飛び乗り上海中心街に急ぐ。と、バスの

社内にピカピカの電動バイクの新車が鎮座している。

中心街のバス終点で全員下車、電動バイクもそのまま

走り去る、運転手さんの愛車だったようだ。さあ、ホテル

までどうする、タクシー乗車はシャクだ。歩道の若者に

「南京東路にどうしたら?」「急いで地下鉄に最終11時」

と、目の前の地下鉄入口を指さす」急いで階段を駆け

降り、ギリギリで最終電車に、無事「南京飯店」帰還。


 この日は上海地下鉄の始発、最終に加え最終バスを

体験する紹興周遊、三輪タクシーは紹興酒強制販売

つきの現地解散,置き去りと中国らしい熱烈歓迎でした。