*留学・開業ブログからの脱線ブログです。
(5/24~6/2の訪タイを書いたブログです。
今はすでに日本で営業再開中♪
「あれ?今タイじゃないんですか?」っとお客様に言われるもので・・・)
先日のブログでご報告の通り、
吉祥寺、タイ式マッサージサロンDALA(ダラ)の仕入れのため、
それと、母を初めてのタイへ連れて行くために、
タイへ行ってまいりました
そんな『仕入れの旅2011春』の様子を簡単にご報告したいと思います。
本当は現地からも色々書こうと思っていたのに、
接続環境が意外に悪かったり、
母の体力に圧倒されてこちらが潰されたり・・・・
そんなわけで結局現地からは一度も更新できずでした。
さてさて、
仕入旅のはじまりは5月24日。
新婚旅行以来、実に30年ぶりという海外へ出かける母と、
なんだかんだと私のタイ行きに便乗してタイに来ている姉と、
母一人娘二人旅のはじまりです。
一人暮らしをしたこともなく、
普段は母に頼りきりの父のために、
たっぷりの冷凍食品やレトルト食品を家に買い置きし、
愛猫二匹を父に預けるため、
家中に猫に関する注意事項を張り紙してから、
いざ出発です。
1日目 成田ーバンコク
成田空港周辺は、
格安パーキングもたくさんあるので、
3人もいれば確実に車で行くのが割安です。
そんなわけで、マイカーを運転して成田空港へ
空港で日本食とのしばしのお別れに回転寿司を食べたり、
出国ゲートに向かおうとしたらマスコミのカメラに囲まれて、
何事??っと思ったら横に福原愛ちゃんがいたり・・・・。
そんなことをしつつ、夕方に成田を離陸
飛行機の中では、るんるんで機内食を待っていたら、
母と姉に機内食が渡され、私の番・・・の前に、
ベルト着用サインが点灯してしまい、
一人だけお預け状態になったり・・・・
やっと乱気流を抜けて、
機内食サービスが再開されると同時に、
姉が飲み物をこぼし・・・・
姉が食べ終わった機内食のトレーを私が預かって、
こぼしたものを片付けていたら・・・・
もう配ったところだと思われてまた機内食がもらえなかったり・・・・ぐすん
(その後ちゃんともらえましたが・・・。)
そんなことをしている間に、いつの間にかバンコクへ。
バンコク到着は深夜ですが、
入国審査なども混んでおらずスムーズで、
タクシーに乗ってアパートに向かいます。
今回の宿泊は、前半は私が留学時代に宿泊していたアパートメントを利用することに。
(アパートについては、
「タイのアパートはこんなお部屋でした 」「タイのアパートついに決定。 」
などに詳しく書いてます)
母を連れて行くからには、
ちょっといいところに泊まろうかという案もあったのですが、
私のいたアパートを見てみたいというのと、
ホテルならツアーで来ても泊まれるから・・・・
っという母の希望で、前半はアパートに宿泊することになりました。
成田からバンコクまでのフライトは、7時間近く。
乗ってしまえばすぐとはいえ、
アパートについたのは現地時間の1時。
日本時間なら3時です
母はさすがに疲れただろうと思い、
この日はともかく寝よう・・・・っと思ったら
母「お腹空いた・・・」
っというわけで、
荷物もほどかぬうちに深夜の・・・しかもスコール中の街へ出発
私のタイ携帯のチャージもしたかったので、
セブンイレブンへ行き、チャージ用のカードと、
飲み物などを購入(0時を過ぎていたのでビールは買えず・・・)
帰り道の屋台でソムタムとカオニャオを買って、
さらにその先の通り端のバーみたいなところでビールを買って部屋へ。
初めてのアジアですので、
屋台で買う料理なんかには、もしかしたら抵抗があるかも・・・
っと思ったのですが、
屋台に並んでいる鍋は勝手に開けるし、
(勝手に開けて見ていいものなんですが、初めはなかなかできないものです)
わが母ながら強い・・・・。
そして、買ってきたものを、
なんでも旨い旨いと食べた後は、
コロリと就寝した母でした・・・・・
2日目 別行動の日
さて、タイの朝です。
この日は、私は仕入れに。
母と姉は観光にと別行動をすることに決まっていました。
ただ、朝のラーメンの屋台に行きたい
っということなので、朝食には一緒に出かけることに。
やって来たのは、私の母校である、
プッサパータイ式マッサージ専門学校 の前の屋台。
留学時代に、私が毎朝といっていいほど食べていたタイラーメンです。
日本でもタイラーメンが食べられるお店はたくさんありますが、
ここの屋台ほどスープがおいしいタイラーメンは、
私は世界中ここでしか食べたことがありません
そんな話をよくしていたものですから、
母も多いに楽しみにしていたものの一つだったようです
食べた結果は・・・・・
大満足だったようで。
ここで、学校へやってきた師匠たちとも再会
一通り家族紹介もできまして・・・。
さて、朝食の後には、
母がコーヒーが飲みたいというので、
コーヒー屋さんへ。
・・・が、いつも買っていたカフェは閉店しており
(プッサパー斜め前の花屋兼、カフェ兼、インターネットカフェだったところです)
いつも買っていたコーヒー屋台のおばちゃんもいない。
(ソイ26バイクタクシー乗り場のところのおばちゃんです)
仕方なく、初めての屋台で注文をすることに。
私のコーヒーはタイ式の甘~いやつでいいのですが、
姉と母はブラックがいいというので、ブラックコーヒーを注文
しかし、タイではお茶にも砂糖が入っているように、
タイ人の味覚にとって、
砂糖の入っていないコーヒーがおいしいという感覚はあまりないようで・・・。
こうした屋台で甘くないコーヒーを手に入れるのはかなり大変なのです
日本人が、
「苦くないお茶をちょうだい」
っといわれても、
タイの人が好きな渋みも何もない、
出がらしで入れたようなお茶はたぶん入れないのと同じように、
タイの人に「甘くないコーヒーちょうだい」っと言っても、
たぶん感覚的に理解できないのでしょう。
一般的に甘くないコーヒーを注文すると、
タイ人にとっては甘さ控えめでも、
日本人にとってはむせるほど甘いコーヒーが出てきます
そんなわけで、
「冷たいコーヒーを、砂糖を入れずに、ミルクも入れずに、
コーヒーだけの状態で頂戴。甘みはいらないです。」
こんな風に注文すると、やっと甘くないコーヒーが手に入るのです。
・・・・しかし、
初めて利用した屋台の若いお姉ちゃん・・・。
この注文を前にずいぶん戸惑っています
カップに氷を入れ・・・・
コーヒーを注ぎ・・・・・・・・
しばらく考えた後・・・・・・・・・・・砂糖入れた
おそらく、こんな不味いものを売ったら大変というサービス精神なんだと思うんですが、
甘いコーヒーがダメな母は一口飲んで臨終してましたへへ
アユタヤへ行くツアーに参加する母と姉と別れて、
私は、サプンプライ(タイハーブ)の仕入れのために市場へ出発・・・・。
しようと思ったら、
果物買いたいから私も一緒に行くけど、昼ごはん食べてから行こう
っという私の師匠、アチャン ラダの提案で、
まずはお昼ご飯を作ることに。
・・・・朝ごはん食べたばっかりなんだけど。
まぁ、しかし、
タイには「キン レン」(食べ遊び)という言葉があるように、
日本のように3食をしっかり食べるというよりは、
食べたい時に、食べたいものをちょこちょこと何回でも食べるので、
ここはタイ式のやり方に乗っかることとして・・・・。
料理開始です。
「ミカぁ、ニンニク、唐辛子、叩くクダサーイ」
っと、
ニンニクの皮を剥いて、根っこを切り、唐辛子と一緒に臼で叩くのは、
留学時代からの私の仕事と決まっていました。
全く切れない包丁で、
ちまちまと皮を剥くもので・・・
「ミカぁ、子供じゃない、遅い、ナンデェ」
(その年でそんなこともちゃんとできないのか)
っと、よくキレられたものです
師匠との懐かしいひと時でした。
アチャンは何か肉の塊を焼きだします。
しかも、
「私、トイレ、ミカ料理ナ」
っと言っていなくなったきり、全然帰ってこない。
どこに行くか知らされずに連れ去られたり、
何を作るか知らされずに手伝わされるのはいつものことですが、
この先・・・・どうするのさ・・・・・。
材料は、私が叩いたニンニク唐辛子、
なんかの豆、エビが用意してあります・・・・・。
・・・・・分からん
そうしている間にも肉はこんがり焼けてきて・・・・
混ぜるのか?混ぜて焼けばいいのか??
っと思っていたら、アチャンが帰って来た。
何か手伝おうと思ったら、
油がはねて危ないからあっちへ行ってろと、
今度は追い払われまして・・・・。
仕方ないので食卓の準備をしていると料理が完成。
出てきた料理は、
ジャーン
・・・・・・・・・・・ん??
なぜひき肉??∑(゚Д゚)
・・・・・・・・何がどうしてこうなったのか全く分からん
あいかわらずです。
師匠・・・・。
さて、しかしながら味はおいしいのが師匠の手料理
おいしく頂きます。
中に入っている豆が、あまり食べたことがない感じでおいしいので、
ぱくぱくと頂いてしまいました。
授業が昼休みになってやってきた藤垣先生に、
「この豆おいしいですねぇ」
っと言ってみると、
「あんまり食べると体臭が臭くなりますけどね」
・・・・・・・・って、
えぇぇ
まぁ、食べてしまったものは仕方がありません。
午後はいよいよサムンプライの仕入れに市場へ
アチャン ラダは果物や、サムンプライ屋で売ってる食材向けのハーブなどを購入。
私は仕入れ分のサムンプライを注文すると・・・・・
在庫切れ
全部揃うのは、なんと帰国の前日になるそうで・・・。
これがあるので、サムンプライの仕入れは必ず初日に来るのですが、
10日の滞在にしておいてよかった・・・・。
前回の仕入れは一週間で来ていたので、前回だったらアウトでした。
サムンプライは注文だけして、
学校に戻ってきてからは、師匠と戯れることに。
この先は母の観光案内の務めがあるため、
師匠と遊ぶ時間はそんなに取れないかもしれないので、
この日の午後は師匠と戯れる時間のつもりでいたのです
すると、師匠・・・・
「出かけまーす」
・・・・どっきり
留学時代には、よく師匠のこの一言に誘われて、
時には日帰りできないところまで連れて行かれたものです。
今日は、夕食までには母と姉と合流しなくてはならないため、
出発前に聞いてみる、
「夕飯までに帰ってこれる?」
「大丈夫!!」
うちの師匠の大丈夫は、案外当てにならないんですが・・・・。
ともかく出かけることに。
ついた先は、本当に大丈夫そうな場所、
近所に住んでいるお友達の家でした
私も面識のあるお友達で、
そのお友達のお友達も遊びに来ていました。
私達が到着すると、待ち構えていたかのように出てきたのが・・・・
トランプ。
アチャン ラダの大好きな遊びの一つです
っというより、タイの女の人はみんな好きなイメージが・・・・。
マッサージ屋さんでも、客待ちをしている間に、
よく店の前でお姉ちゃんたちが遊んでいるのを見かけます。
ちなみに、
タイにはトランプ詐欺というのがありますが、
そういう類のものとは違いますので
久しぶりに再開した師匠と、
久しぶりにやってきたバンコクで、
なぜかトランプに興じること4~5時間。
アユタヤに行っていた母と姉が帰って来た。
母、首から携帯扇風機がぶら下がっています。
母はこれが一番見たかったそうで。
象さんにも乗れたようで。
車窓などなども含めて、
大満喫して帰って来たようでした。
母、姉と合流し、
夕食は、アチャン ラダも含めて4人で出かけることに。
お店はトンロー ソイ13にある「トン クルアン」へ
高級・・・っとまではいきませんが、
近所の屋台や食堂で食事をするよりはお高いので、
一人ではなかなか行きませんが、
人数が集まったら、中級以上のタイ料理を食べるのには、
とてもオススメのお店です。
しかし、お腹が空き過ぎて、
お料理は何も写真にとっていなかった・・・・・。
ともかくおいしかったです。
この日の締めは、学校隣にオープンした、
アチャン ラダのお友達のバーで一杯。
お酒も入って陽気な師匠と私・・・・。
まぁ、なんてひどい顔・・・・。
でも仲良しです。
こうして、長い長い2日目は幕を閉じたのでした・・・・。
続く
(5/24~6/2の訪タイを書いたブログです。
今はすでに日本で営業再開中♪
「あれ?今タイじゃないんですか?」っとお客様に言われるもので・・・)
先日のブログでご報告の通り、
吉祥寺、タイ式マッサージサロンDALA(ダラ)の仕入れのため、
それと、母を初めてのタイへ連れて行くために、
タイへ行ってまいりました
そんな『仕入れの旅2011春』の様子を簡単にご報告したいと思います。
本当は現地からも色々書こうと思っていたのに、
接続環境が意外に悪かったり、
母の体力に圧倒されてこちらが潰されたり・・・・
そんなわけで結局現地からは一度も更新できずでした。
さてさて、
仕入旅のはじまりは5月24日。
新婚旅行以来、実に30年ぶりという海外へ出かける母と、
なんだかんだと私のタイ行きに便乗してタイに来ている姉と、
母一人娘二人旅のはじまりです。
一人暮らしをしたこともなく、
普段は母に頼りきりの父のために、
たっぷりの冷凍食品やレトルト食品を家に買い置きし、
愛猫二匹を父に預けるため、
家中に猫に関する注意事項を張り紙してから、
いざ出発です。
1日目 成田ーバンコク
成田空港周辺は、
格安パーキングもたくさんあるので、
3人もいれば確実に車で行くのが割安です。
そんなわけで、マイカーを運転して成田空港へ
空港で日本食とのしばしのお別れに回転寿司を食べたり、
出国ゲートに向かおうとしたらマスコミのカメラに囲まれて、
何事??っと思ったら横に福原愛ちゃんがいたり・・・・。
そんなことをしつつ、夕方に成田を離陸
飛行機の中では、るんるんで機内食を待っていたら、
母と姉に機内食が渡され、私の番・・・の前に、
ベルト着用サインが点灯してしまい、
一人だけお預け状態になったり・・・・
やっと乱気流を抜けて、
機内食サービスが再開されると同時に、
姉が飲み物をこぼし・・・・
姉が食べ終わった機内食のトレーを私が預かって、
こぼしたものを片付けていたら・・・・
もう配ったところだと思われてまた機内食がもらえなかったり・・・・ぐすん
(その後ちゃんともらえましたが・・・。)
そんなことをしている間に、いつの間にかバンコクへ。
バンコク到着は深夜ですが、
入国審査なども混んでおらずスムーズで、
タクシーに乗ってアパートに向かいます。
今回の宿泊は、前半は私が留学時代に宿泊していたアパートメントを利用することに。
(アパートについては、
「タイのアパートはこんなお部屋でした 」「タイのアパートついに決定。 」
などに詳しく書いてます)
母を連れて行くからには、
ちょっといいところに泊まろうかという案もあったのですが、
私のいたアパートを見てみたいというのと、
ホテルならツアーで来ても泊まれるから・・・・
っという母の希望で、前半はアパートに宿泊することになりました。
成田からバンコクまでのフライトは、7時間近く。
乗ってしまえばすぐとはいえ、
アパートについたのは現地時間の1時。
日本時間なら3時です
母はさすがに疲れただろうと思い、
この日はともかく寝よう・・・・っと思ったら
母「お腹空いた・・・」
っというわけで、
荷物もほどかぬうちに深夜の・・・しかもスコール中の街へ出発
私のタイ携帯のチャージもしたかったので、
セブンイレブンへ行き、チャージ用のカードと、
飲み物などを購入(0時を過ぎていたのでビールは買えず・・・)
帰り道の屋台でソムタムとカオニャオを買って、
さらにその先の通り端のバーみたいなところでビールを買って部屋へ。
初めてのアジアですので、
屋台で買う料理なんかには、もしかしたら抵抗があるかも・・・
っと思ったのですが、
屋台に並んでいる鍋は勝手に開けるし、
(勝手に開けて見ていいものなんですが、初めはなかなかできないものです)
わが母ながら強い・・・・。
そして、買ってきたものを、
なんでも旨い旨いと食べた後は、
コロリと就寝した母でした・・・・・
2日目 別行動の日
さて、タイの朝です。
この日は、私は仕入れに。
母と姉は観光にと別行動をすることに決まっていました。
ただ、朝のラーメンの屋台に行きたい
っということなので、朝食には一緒に出かけることに。
やって来たのは、私の母校である、
プッサパータイ式マッサージ専門学校 の前の屋台。
留学時代に、私が毎朝といっていいほど食べていたタイラーメンです。
日本でもタイラーメンが食べられるお店はたくさんありますが、
ここの屋台ほどスープがおいしいタイラーメンは、
私は世界中ここでしか食べたことがありません
そんな話をよくしていたものですから、
母も多いに楽しみにしていたものの一つだったようです
食べた結果は・・・・・
大満足だったようで。
ここで、学校へやってきた師匠たちとも再会
一通り家族紹介もできまして・・・。
さて、朝食の後には、
母がコーヒーが飲みたいというので、
コーヒー屋さんへ。
・・・が、いつも買っていたカフェは閉店しており
(プッサパー斜め前の花屋兼、カフェ兼、インターネットカフェだったところです)
いつも買っていたコーヒー屋台のおばちゃんもいない。
(ソイ26バイクタクシー乗り場のところのおばちゃんです)
仕方なく、初めての屋台で注文をすることに。
私のコーヒーはタイ式の甘~いやつでいいのですが、
姉と母はブラックがいいというので、ブラックコーヒーを注文
しかし、タイではお茶にも砂糖が入っているように、
タイ人の味覚にとって、
砂糖の入っていないコーヒーがおいしいという感覚はあまりないようで・・・。
こうした屋台で甘くないコーヒーを手に入れるのはかなり大変なのです
日本人が、
「苦くないお茶をちょうだい」
っといわれても、
タイの人が好きな渋みも何もない、
出がらしで入れたようなお茶はたぶん入れないのと同じように、
タイの人に「甘くないコーヒーちょうだい」っと言っても、
たぶん感覚的に理解できないのでしょう。
一般的に甘くないコーヒーを注文すると、
タイ人にとっては甘さ控えめでも、
日本人にとってはむせるほど甘いコーヒーが出てきます
そんなわけで、
「冷たいコーヒーを、砂糖を入れずに、ミルクも入れずに、
コーヒーだけの状態で頂戴。甘みはいらないです。」
こんな風に注文すると、やっと甘くないコーヒーが手に入るのです。
・・・・しかし、
初めて利用した屋台の若いお姉ちゃん・・・。
この注文を前にずいぶん戸惑っています
カップに氷を入れ・・・・
コーヒーを注ぎ・・・・・・・・
しばらく考えた後・・・・・・・・・・・砂糖入れた
おそらく、こんな不味いものを売ったら大変というサービス精神なんだと思うんですが、
甘いコーヒーがダメな母は一口飲んで臨終してましたへへ
アユタヤへ行くツアーに参加する母と姉と別れて、
私は、サプンプライ(タイハーブ)の仕入れのために市場へ出発・・・・。
しようと思ったら、
果物買いたいから私も一緒に行くけど、昼ごはん食べてから行こう
っという私の師匠、アチャン ラダの提案で、
まずはお昼ご飯を作ることに。
・・・・朝ごはん食べたばっかりなんだけど。
まぁ、しかし、
タイには「キン レン」(食べ遊び)という言葉があるように、
日本のように3食をしっかり食べるというよりは、
食べたい時に、食べたいものをちょこちょこと何回でも食べるので、
ここはタイ式のやり方に乗っかることとして・・・・。
料理開始です。
「ミカぁ、ニンニク、唐辛子、叩くクダサーイ」
っと、
ニンニクの皮を剥いて、根っこを切り、唐辛子と一緒に臼で叩くのは、
留学時代からの私の仕事と決まっていました。
全く切れない包丁で、
ちまちまと皮を剥くもので・・・
「ミカぁ、子供じゃない、遅い、ナンデェ」
(その年でそんなこともちゃんとできないのか)
っと、よくキレられたものです
師匠との懐かしいひと時でした。
アチャンは何か肉の塊を焼きだします。
しかも、
「私、トイレ、ミカ料理ナ」
っと言っていなくなったきり、全然帰ってこない。
どこに行くか知らされずに連れ去られたり、
何を作るか知らされずに手伝わされるのはいつものことですが、
この先・・・・どうするのさ・・・・・。
材料は、私が叩いたニンニク唐辛子、
なんかの豆、エビが用意してあります・・・・・。
・・・・・分からん
そうしている間にも肉はこんがり焼けてきて・・・・
混ぜるのか?混ぜて焼けばいいのか??
っと思っていたら、アチャンが帰って来た。
何か手伝おうと思ったら、
油がはねて危ないからあっちへ行ってろと、
今度は追い払われまして・・・・。
仕方ないので食卓の準備をしていると料理が完成。
出てきた料理は、
ジャーン
・・・・・・・・・・・ん??
なぜひき肉??∑(゚Д゚)
・・・・・・・・何がどうしてこうなったのか全く分からん
あいかわらずです。
師匠・・・・。
さて、しかしながら味はおいしいのが師匠の手料理
おいしく頂きます。
中に入っている豆が、あまり食べたことがない感じでおいしいので、
ぱくぱくと頂いてしまいました。
授業が昼休みになってやってきた藤垣先生に、
「この豆おいしいですねぇ」
っと言ってみると、
「あんまり食べると体臭が臭くなりますけどね」
・・・・・・・・って、
えぇぇ
まぁ、食べてしまったものは仕方がありません。
午後はいよいよサムンプライの仕入れに市場へ
アチャン ラダは果物や、サムンプライ屋で売ってる食材向けのハーブなどを購入。
私は仕入れ分のサムンプライを注文すると・・・・・
在庫切れ
全部揃うのは、なんと帰国の前日になるそうで・・・。
これがあるので、サムンプライの仕入れは必ず初日に来るのですが、
10日の滞在にしておいてよかった・・・・。
前回の仕入れは一週間で来ていたので、前回だったらアウトでした。
サムンプライは注文だけして、
学校に戻ってきてからは、師匠と戯れることに。
この先は母の観光案内の務めがあるため、
師匠と遊ぶ時間はそんなに取れないかもしれないので、
この日の午後は師匠と戯れる時間のつもりでいたのです
すると、師匠・・・・
「出かけまーす」
・・・・どっきり
留学時代には、よく師匠のこの一言に誘われて、
時には日帰りできないところまで連れて行かれたものです。
今日は、夕食までには母と姉と合流しなくてはならないため、
出発前に聞いてみる、
「夕飯までに帰ってこれる?」
「大丈夫!!」
うちの師匠の大丈夫は、案外当てにならないんですが・・・・。
ともかく出かけることに。
ついた先は、本当に大丈夫そうな場所、
近所に住んでいるお友達の家でした
私も面識のあるお友達で、
そのお友達のお友達も遊びに来ていました。
私達が到着すると、待ち構えていたかのように出てきたのが・・・・
トランプ。
アチャン ラダの大好きな遊びの一つです
っというより、タイの女の人はみんな好きなイメージが・・・・。
マッサージ屋さんでも、客待ちをしている間に、
よく店の前でお姉ちゃんたちが遊んでいるのを見かけます。
ちなみに、
タイにはトランプ詐欺というのがありますが、
そういう類のものとは違いますので
久しぶりに再開した師匠と、
久しぶりにやってきたバンコクで、
なぜかトランプに興じること4~5時間。
アユタヤに行っていた母と姉が帰って来た。
母、首から携帯扇風機がぶら下がっています。
母はこれが一番見たかったそうで。
象さんにも乗れたようで。
車窓などなども含めて、
大満喫して帰って来たようでした。
母、姉と合流し、
夕食は、アチャン ラダも含めて4人で出かけることに。
お店はトンロー ソイ13にある「トン クルアン」へ
高級・・・っとまではいきませんが、
近所の屋台や食堂で食事をするよりはお高いので、
一人ではなかなか行きませんが、
人数が集まったら、中級以上のタイ料理を食べるのには、
とてもオススメのお店です。
しかし、お腹が空き過ぎて、
お料理は何も写真にとっていなかった・・・・・。
ともかくおいしかったです。
この日の締めは、学校隣にオープンした、
アチャン ラダのお友達のバーで一杯。
お酒も入って陽気な師匠と私・・・・。
まぁ、なんてひどい顔・・・・。
でも仲良しです。
こうして、長い長い2日目は幕を閉じたのでした・・・・。
続く