8月4日は 2000年生まれ 細村星一郎 24歳の誕生日 おめでとうございます

毎週日曜更新
 
細村氏から許可を得てあり 全文転載させていただきます
 
 
オシロイバナ 2024-6-29 庭にて(夕方開花)
 
 平田修句集
『海に傷』1-2ページ
 
 平田修句集
『海に傷』3-4ページ

 

 

夏まっさかり俺さかさまに家離る

平田修
(『海に傷』昭和59年)

今回も平田の第一”句集”『海に傷』から。家を出るとも捨てるともなく、「離る」。家は実家(地元)とも自宅とも読めるが、今回は前者の視点から掲句を紹介したい。

 

平田は出生地である富士宮を離れ、小田原へ移住していた。追って小田原へやってきた大石一家との出会いは1985年頃だったという。理由は様々あろうが、その一つは辻潤が使っていた尺八を探すため、というものであったらしい。

 

辻潤は多芸の翻訳家で、尺八の奏者でもあった。今ではむしろ、甘粕事件で大杉栄とともに殺害された伊藤野枝の最初の夫としての方が有名かもしれない。

 

名家に生まれた辻は実家の没落を機に女学校の教師となり、そこで出会った野枝と恋に落ちて教員を退職。フリーの文筆家となったわけだが、野枝が家を出て行ってからの辻はとにかく酒を飲んでいた。

 

家には有象無象の暇人が集い、昼から毎日大宴会。自殺未遂や奇行、入院も繰り返すなど完全にアル中の状態にあった辻だが、そんな酒の席で出会った仲間たちがその都度支援してくれたのだという。

母・妹・野枝と暮らしながらも平然とニートのように振る舞っていた辻とは対照的に、平田は人情に厚い人であった。

 

小田原近くの大井町(京浜東北線の大井町ではない)で下請け工場を経営していた平田だったが、雇用していた障碍を持つ従業員たちに裏切られて経営破綻。今以上に障碍に対する偏見の厳しかった時代に、雇用義務もない一介の町工場で障碍者の働き口を提供していた平田だったが、それが仇となってしまった。

 

さらには経営破綻をきっかけとして妻とも離婚。独り身となった平田は、ぽっかりと空洞化した身体を埋めるように尺八と俳句の世界へ誘われていった。

 

思うに、平田にとって辻はある種の憧れだったのだと思う。人の迷惑を顧みず自由に振る舞う傍若無人の辻に、なりたくてもなれなかった自分の姿を映し見ていたのではないか。辻の尺八を見つけられれば何かが変わるに違いない、という淡い希望すら見えてくる。

 

真反対の存在である辻の幻影を求めて家を離れる時、平田の心は”さかさま”になる。さかさまにせざるを得なかったと言ってもいいだろう。身体をもさかさまにする夏の暑さは、悲しき決意のプロローグであった。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。


【細村星一郎のバックナンバー】
>>〔17〕純粋な水が死に水花杏 平田修
>>〔16〕かなしみへけん命になる螢でいる 平田修
>>〔15〕七月へ爪はひづめとして育つ 宮崎大地
>>〔14〕指さして七夕竹をこはがる子 阿部青鞋
>>〔13〕鵺一羽はばたきおらん裏銀河 安井浩司
>>〔12〕坂道をおりる呪術なんかないさ 下村槐太
>>〔11〕妹に告げきて燃える海泳ぐ 郡山淳一
>>〔10〕すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる 阿部完市
>>〔9〕性あらき郡上の鮎を釣り上げて 飴山實
>>〔8〕蛇を知らぬ天才とゐて風の中 鈴木六林男
>>〔7〕白馬の白き睫毛や霧深し 小澤青柚子
>>〔6〕煌々と渇き渚・渚をずりゆく艾 赤尾兜子
>>〔5〕かんぱちも乗せて離島の連絡船 西池みどり
>>〔4〕古池やにとんだ蛙で蜘蛛るTELかな 加藤郁乎
>>〔3〕銀座明るし針の踵で歩かねば 八木三日女
>>〔2〕象の足しづかに上る重たさよ 島津亮
>>〔1〕三角形の 黒の物体オブジェの 裏側の雨 富沢赤黄男

 

  

 

 ■ここからは イネ科的感想です

>身体をもさかさまにする夏の暑さは、悲しき決意のプロローグであった。

 

全文の締めくくりのフレーズ 俳句の下5に相当する落としどころ!

俳句作家の文章だなぁ~と・・・思います

 

■細村星一郎氏の愛蛇 コーンスネーク種「タッシュ君」「春ちゃん」の餌やりは・・・

 大人な蛇なので1~2ヶ月に1回 (白い冷凍ネズミを 湯煎で解凍)

 ワンルームで飼育のため 冬眠無しで 毎日ぱっちり起きているそうです