「モノより思い出。」





前編はこちら。



どうしても自転車が欲しかった僕は、ある日思い切って言ってみました。

「僕も自転車が欲しい。みんな持ってる。」

しかし 両親の反応は、そっけないものでした。

「まだ早い。それに道路で自転車を乗るのは危険だ。」

僕の家は交通量の多い国道に面したところにあったので、親にとっては
まだまだ状況判断のつかない子供が自転車に乗ることが怖かったのでしょう。
今ではその気持ちがよく分かります。
また、経済的にもそんなに余裕がなかったのかも知れません。
その時は自宅を建てたばかりでしたし、自転車も今ほどは安くなかったのです。

僕はそれでもあきらめず、自転車がいかに素晴らしいものであるか、
自分が友人の中でいかにみじめな思いをしているかを訴え続けました。
自転車があれば、遠くの友達のところにも行ける。
自転車でお使いに行くこともできる。
自転車があれば・・・
と、子供ながら精いっぱい考えて親に訴え続けていました。
しかし、なかなか親は首を縦には振ってくれませんでした。

そんなある日、いつものように友達と広場で遊んでいると、父と母が
車に乗ってやってきました。もう夕方だったので迎えに来たとのことで、
僕は友達にさよならを言って車に乗り込みました。

そろそろ冬の足跡が聞こえてくる頃で外は暗くなり始めていました。
僕は父と母に車に乗っている間中ずっと
「自転車があれば、遅くなる前にすぐ帰られるのにな」
と憎まれ口をたたいていました。

父と母はだまってそれを聞いていました。
今思えば何か喜びを押し殺しているような表情で。

そして、車が家に着くと突然父が口を開いたのです。

「裏の車庫を見てきてごらん。」

僕は訳も分からず家の裏にあった車庫を見にいきました。
すると、そこには真新しい緑の自転車が!

父と母はその日朝から二人で車で街に出て、僕のために自転車を
買ってきてくれていたのです。家で僕を驚かせるつもりだった
らしいですが、僕の帰りがあまり遅いので、待ちきれなくなって
二人して迎えに来たのでしょう。

その日は感激のあまりよく眠れませんでした。
何度も車庫にある緑の自転車を見に行って、サドルに腰掛けたり、
ベルを鳴らしたりしたのを覚えています。

子供の願望に対してどう接していけばいいか。これは難しい問題です。
自分の忙しさとそこからくる罪悪感に任せて、三田佳子のように
言われるままに欲しがるモノを買い与えると、子供は自分の希望は
全てかなうのだという変な万能性を身につけてしまいます。
その結果、挫折にぶつかった時、それに対して精神を守る術を持ち得ません。

また、頭ごなしに厳しくするのも問題を生みます。子供は自分の願望を口に
できない人間に成長してしまいます。
僕は僕で親と戦っていたつもりですが、僕の両親もまた、僕にとって
何がいいのかということを子供の安全という恐怖と戦いながら考えて
くれていました。

子供は欲張りな上、飽きっぽいので次々に物を欲しがります。
その上、テレビCMやアニメは子供に魅力的な商品を次々と見せてきます。
子供の数が少なくなった昨今、友人たちが次々に物を買ってもらうのを
見ることもあるでしょう。

そんなとき、僕は子供の言い分をじっくり聞いてあげようと思います。
どうしてそれが欲しいのか。それがあればどうなるのか。
きっと、子供は不十分ながらもいろいろ答えようとするでしょう。
それが理にかなっているかどうかは関係ありません。
自分の願望について考え、話させることが子供の成長を促すことだ
と思うからです。きっと僕の両親もそう思っていたのでしょう。

この季節になるとあの日のことを思い出します。
僕もいつかは「緑の自転車」を子供にも贈りたいです。