子供のころから、僕は子供が嫌いでした。
僕は、僕の年代でも珍しい4人兄弟の長男。
母は24歳で結婚し、25歳から僕、妹、弟、妹と
ほぼ2年ごとに見事に産み分けました。
まず、この兄弟が多いことが嫌でした。
おそ松くんみたいで。(笑)
僕のような団塊ジュニア世代では、兄弟の数は
多くて3人で、大抵は2人という友達が
多かったと記憶しています。
そして、中には一人っ子という人も少なからず
いて、ファミコンのソフトをたくさん持っていたり、
生意気にも小学生ながらハワイに行ったり、
ポテトチップスを一人で一袋食べたりしていました。
僕の家は、それほど貧乏という訳ではありませんでしたが、
(結局4人とも大学まで進ませてもらった)
当時は、それがとてもとてもうらやましかったのです。
「ポテトチップスを一人で一袋食べること」
それは、僕が独立するまでの割と真剣な夢でした。
いつしかこのことは、僕に子供(自分以外の(笑))
への屈折した嫌悪感へと変わっていきました。
「大人げないなあ」というのが、当時の他の子供に対する
僕の決め台詞でした。(嫌な子供だ)
子供は、自分が努力して勝ち取ったわけでもないのに、
どんな家庭に生まれたかというような、
まさに「運」で得たようなことを自分の手柄のように自慢し、
他人に対して優越感を持ちます。
まさにスネ夫のように。
そして、成長して中学生、高校生くらいになると、今度は
「容姿」という、これまたこの時点では自分の努力とは
関係ないことにこだわり、ある者は他人に対してゆがんだ
優越感を持ち、ある者は過度のコンプレックスを
否応なしに持た「され」ます。
今思えば、すべて成長の過程においてごく自然で、
必要なステージだと思えるのですが、
(社会に出てもそれほど変わらない部分もあるし)
当時は、そういうことに耐えられなくて、
子供というのは、なんて浅はかで残酷で醜いものなのだろう、と
心の底から思っていました。恥ずかしい話ですが。
実は、このような他の人間や社会に対して、
完全性・万能性を求めるというのは、まさに「子供」の特徴であります。
つまり、僕が子供嫌いだった理由の一つは、
本当のところ僕自身が、最近まで「子供」だった
からかも知れない、ということでしょうか。