昨日は朝から こんな悲報が、、、、、
元俳優でNFLのレジェンドであるシンプソンが前立腺がんとの闘病の末、76歳で死去したことが木曜日にシンプソンの家族によって発表された。
wikiから
1994年6月13日午前0時10分頃、シンプソンの元妻のニコール・ブラウンとその友人ロナルド・ゴールドマンの刃物で刺された血だらけの死体がカリフォルニア州ロサンゼルス、ブレントウッドにあるニコールの自宅玄関前で発見されたことから始まった。ゴールドマンは180cmと長身であり格闘技の達人であったため、体格や腕力の勝る男性による犯行が濃厚と考えられた。
事件発生後、イリノイ州シカゴにいたシンプソンは警察からの連絡でブレントウッドに一番早い便で帰った。飛行機から降りたシンプソンはいきなり手錠をはめられたが、顧問弁護士であるハワード・ワイズマンによりすぐに解かれている。
追跡劇
その後もシンプソンは冷静に対処し、一度釈放された。しかしその後、6月16日に第1級殺人罪で逮捕令状が下りた時、シンプソンは友人のアル・カウリングズの運転するフォード・ブロンコの助手席に乗り、ロサンゼルスのフリーウェイでパトカーの追跡を振り切ろうとしたため、カーチェイスを展開する事態となった。その際には逃げ切ったものの、それから2時間後にシンプソンは逮捕された。
ドリームチーム
シンプソンは全面無罪を主張し、陪審裁判で決着をつけることとなる。シンプソンの裁判ではロバート・シャピーロやジョニー・コクランなど全米で有名な弁護士・検察官が出揃い、「世紀の裁判」と呼ばれた。しかし弁護団のほうが質量ともに検察を凌いでいることは誰の目から見ても明らかであり、これは弁護団は「ドリームチーム」と呼ばれるほど経験豊富で有名な弁護士ばかりだったからである。
そのためか[独自研究?]、この事件を題材にした書籍『グレイゾーン』では「単独」の検察、「全米選抜」の弁護団と称された。
なお、シンプソンの弁護費用は当時の日本円にして5億円といわれており[4]、その規模の大きさが窺える。
刑事裁判でシンプソンは無罪を勝ち取りましたが、被害者の家族は彼に対して民事訴訟を起こし、1997年、民事裁判所は被害者の不当な死に対して3,350万ドルの判決を下しました。
2007年、シンプソンはラスベガスで武装強盗と誘拐の重罪で逮捕され、翌年に有罪判決を受け、最低9年仮釈放なしの刑を宣告されました。9年間服役した後2017年7月に出所し、FLで 隠居生活。
https://japangamblers.com/news/list/ranking-top5-by-famous-athletes-shocking-the-world/
その当時のニュースは いかにこの事件が全米を話題にさせたか
20分の動画
白いトラックで 低スピードで 警察から2時間かけて逃げる様子は メデイアで公開され、
なぜか 警察に止められた犯罪者が 警察の言うことを聞かずに逃げる心境
しかし 殺された2人の親族は いまだに 納得いかないだろうね。
さてアメリカにやってきた日本の、、とある記事では
空港に降り立った岸田夫妻。要人は 皆さん病欠?子供が花束渡す
岸田氏、バイデンに舐められる。
岸田政権、日本政府、メディアは国賓待遇だと喜んで喧伝しまくっておりますが、実態は寂しい限り。アメリカ到着時の出迎えには要人が一人もおらず、駐日大使のエマニュエルのみ。
さらに岸田氏の車を出迎えたバイデンはサングラス。これについてネットではマッカーサー気取りで侮辱されているとの声が上がっていた。
twnさんから
サングラスにしっかり カンペが映る
そして 昨日は フィリッピンからも大統領がやって来て 要人の数が違うな
記念撮影では
過去の他の国の場合は
晩餐会の客も全員蝶ネクタイなのに なぜにバイデンだけ?
この晩餐会に招待されたのが名だたる民主党の方々、アマゾン元会長やら 民主党の芸能人やら
後ろは 日本の 扇子?それに合わせたヒラリーのドレス?
こんな発言もあったらしい
詳しくはこちらの記事で
岸田氏の演説、ウクライナ支援に共和党議員反発
岸田の演説はウクライナに関する発言について共和党議員が反発し、拍手を拒む場面がった。ジョンソン下院議長、マージョリー・テーラー・グリーン議員、マット・ゲイツ議員らかなりの共和党議員が反発していた。
核兵器を唯一使用した米国の国会で、核兵器の危険性を語る岸田は自己欺瞞、卑屈の最高レベルだ
米アナリスト、ニーナ・ビザンティナ氏「核兵器を使用した唯一の国である米国議会で、日本の岸田外相がロシアが核兵器による大惨事を繰り返す危険性について語るというのは、ガスライティング、自己欺瞞、卑屈さの全てを同時に兼ね備えた最高レベルの行為だ」