めっきり仕事が忙しくなってしばらくブログから離れていました。

(もともとあんまり書いてないか)

 

仕事が3倍くらいに増えて目が回っていたのですが、

最近ふと気づくととてもやらされ感がある。

 

そして考えてみると、

私、「やらされ感」という言葉は知っていたし、

感じている人が多いことはわかっていたけれど、

自分自身が感じるのは人生初めてだ、ということに気づきました。

 

勉強も、

仕事も、

使命感を持って、

責任感を持って、

自主的にやっていました。

 

だけど、最近はとても視野が狭いことを強いられているわ、とやらされ感満載。

 

先日もやもや~がたまっていたときに、起業している母友たちと飲む機会があり、ぶちまけたら、

「やらされ感を生まれて初めていだいた」ということに驚かれ、

ああ、自分はこれまで幸せな人生を送ってきていたのか、ということに気づきました。

 

私は育ってきた家庭環境の影響で、

自分が働いて家族を養う支えになることは必須だと考えています。

同時にそれに束縛されすぎているな、とも感じますが、

この年齢になってこの考え方をアンインストールすることは難しいし、

それが自分が幸福と感じる一部を成していると理解しています。

 

だけど、最近のこのやらされ感から、この考え方を刷新しない限り、

完全にやらされ感から離れられないのではないかな、と危惧しているところです。

それはつまり、家族を養うほどの稼ぎを得るぞ、ということはもう置いといて、

使命感と責任感、つまりもっと生きがいを大事にして生きる、ということかしら。。。

 

以前から、「子どもが将来食えるように、稼げるような教育を」と聞くと何だか違和感を感じていました。

それは

その子がやりたいことなのか?

好きなことなのか?

使命感や責任感を持てることなのか?

という問いとうまく結びつけられないなあと。

 

仕事柄、チームメンバーのケイパビリティと業務内容を考えて、

どう割り振って進めていくかを考えることも増えているのですが、

考えれば考えるほど、

やっぱ得意なこと担当してもらったほうがいいわ!

できないことをトレーニングで身に付けるとか、無駄に時間もかかるし、本人も苦しい!

ということを感じます。

 

日本の教育は、平均に合わせてならすから、

できないことをトレーニングさせ、

苦手克服させ、

なるべく全員を平均に持ってこようとするけれど、

仕事でもそういう考え方をとると、

本人も大変だし結局効率悪い。

 

例えば、ある業務について、そもそもなぜやる必要があるか、

1回説明してわかるスタッフもいれば、

3回説明してもわからないスタッフがいる。

すべての人がわかる必要、ある?

そもそもなぜやる必要があるか何回聞いてもわからない人が、

例えばオペレーションを改善することが大好きだったら、

もうそもそも考えなくていいから、オペレーションやってもらったほうがいいよね。

 

これまではひたすら、なぜやる必要があるか、「そもそも」からトレーニングしてきし、それが結果的に効率的だと思っていたけれど、

多くの人と接するうち、それが難しい場合もあることを知り、

ある時ふと、

学生時代、例えば数学で、公式を暗記でしのいできたか?

それとも、この公式がなぜこうなるのか、そもそもから考えていたか?

もう、そこから、「そもそも」を考えるのが

「好きかどうか」

で決まってるんじゃない?と思った。

「そもそも」を考えるのが好きじゃなくて、

暗記で済ませてきた人に、

「そもそも」なんでか考えろって言ったって、好きじゃないからやだよね。。。

 

テクノロジーが発展する社会で、オペレーションは機械に任せて人間は考える仕事を、と言われるけれど、

現実社会で考えることが好きな人と嫌いな人は存在します。

私も考えることが圧倒的に好きな人と会話するのは大変で、ああ、私は考えるのが不得意だわ、と常々思いますが

売られたら買うので(?)頑張って考えています、が好きな人には追い付けないなあと思います。

 

それでは教育で考えることが好きになるのか、

好きにさせることができるのか。

 

大人になったら考え方を変えるのはもう無理だな~と思うので、

子どもの時から、「そもそも」を一緒に考えて、その楽しさを感じさせるのは大事なんだろうなあ、と感じる今日この頃。

 

そして考えることは技術なので、

じゃあそれを何に使うか、

使命感と責任感を何に対して持つか、

情熱、を何に向けられるのか。

 

いや、でも考えるのではなくてルールに従ってひたすらやるオペレーションがもう生まれつき好き!って人がいたら、
「そもそも」を考えてそれを強いられること自体が苦痛なので、
それは幸せではないのでやめたほうが良い。
けど、生まれつきってどこまでなんだろう。
「稼ぐ」ってことからフリーになれたら、機械に任せるって言われるオペレーションをやって、それで幸せを感じるならばそれでいいのでは?

すなわち「稼ぐ」ってことからフリーになって、情熱を向けられることをひたすらやれるのが、結局幸せなのではないかと感じるのです。

「情熱」は必ずしも好きなことではなく、気になることなら何でもいいんです。

 

学校公開もあり、そういうことをちょっとまとめて考えた週末でした。

 

アンインストールと情熱についてまた引き続き考えます。

 

そして、残っている仕事を片付けなきゃーーー。。。