近頃職場で、

 

嫌な光景にでくわす。

 

ベテランさんが

新しく入った人のことを


「あの人、何もできないから」

と大きな声で言ったり

 

通り過ぎた後に、

顔を見合わせて苦笑いする

 

 

そういうの、今まで

いろんな職場で見てきたけど、

 

 

その時働く思考は

 

私はそう言われないようにしなきゃ!

 

 

そして怒られないように、

って気を張って疲れたりしてた。

 

 

 


 

今また

もうひとつ自分の中に感情があることを見つけた。

 

悪口言う人のことを快く思わないくせに、

実は私も、仕事を覚えない人のことを見下してる

 

 

私は違う。

私は出来る。

 

という

優越感

 

 

うわ!やだ!

 

 

 

と思ったけど

 

 

否定しないで取り扱ってみる。




 

 

あー、私の中に

人を下に見る気持ちがあるなぁ。

 

 

でも、

 

仕事できると認められて

出来ないと悪口言われる



 

そんな世界なら

 

そう思っても当然だよね。

 

 

って自分の感情を認めた。

 

 

 



 

ああ私、最初

悪口言うベテランさんたちを嫌だなって思ったけど、

 

 

その光景を創ったのは私なのかもしれない。

 

 



先にあったのは


 

仕事できると認められて

出来ないと悪口言われる



という私の頭の中の世界観


 

 

だから

 

悪口言う人を批判するんじゃなくて

 

人を見下す自分の感情を否定するんじゃなくて

 

 

どちらも

私のその世界観が生み出した現象なんだから

 

対応するのはこの頭の中だ。

 

 



 

どんな世界で私は生きたい?



それに対する答えは

 

 

仕事できても

出来なくても

それぞれの苦手を補い合って

得意を引き出して

家族のように協力しあいたい

 

 

悪口言われてた彼女は

 

人を繋ぐおおらかさがあるの

 

「製品をしあげる」という価値観には直接ひっかからないかもしれないけど

私は毎日その人と挨拶するだけで和む

 

 

私も本当は

タスクをがんばる、という動きよりも

もっと人の中身と繋がりたい

今日隣り合った人と

一瞬でも温かいやりとりができたら大成功



仕事できても出来なくても

ここにいていい


 

そんな世界観に書き換えたい




仕事終わりの光景が好き