ニュージーランドに行きたいと思ってることを
子どもに話したら
「ダメ、嫌」
と言われ
長男が「なんで行きたいの?」と聞いてくれたので
「お母さん10月にも東京に行くこと、
おばあちゃんに反対されて あきらめて
このまま行きたいと思っても行けなくなっちゃうんじゃないか
見えない檻の中にいるみたいで
それを壊したいんだよね」
というようなことを答えた「
長女は難しい顔をしてたけど
その夜にも「ダメだよー」と言った
なんかそういう言葉を聞いたら
ムラムラっとなって
行くのやめようかなって思った
子どもが嫌がるから私は行かない
私はこのボジションに居たいのかもしれないと思った
行きたいけど、子どものために行かない
行けるけど、子どものために行かない
これが私の落ち着く場所で
自分に丁度よいと思っている
1歳の下の子を抱っこしながら夕食作って
リビングに散らばるものを片付けて
1人になりたいなーと言いつつ家族のお世話をする
ひとりになれる部屋、あるじゃん
いつでもひとりになれる
でも今それをしないのは
子どもたちにもみくちゃにされたいから
私がそれを選んでいる
その状態が好きなのかどうか とまでは分からないけど
突き抜けない自分でいるのが 今は落ち着くし
丁度よいと思っている
ということが分かった
でも今までと違うのは
その世界より一ミリくらいは私は大きくなったということ
そういう自分を観測する もうひとつの視点があるということだから
私は少し超えたのだ
だから何かをしなくても大丈夫
私は自分で選んでいるという確かな自信がついたから
不幸でも幸せでも
苦しくても楽しくても
私はそれを味わいたいからそうしている