昨日、野田秀樹さんが「意見書 公演中止で本当に良いのか」を野田地図のHP上で出された。

https://www.asahi.com/articles/ASN3164G4N31UCVL00B.html

で、僕はさずが野田さん!と、最初に声をあげたのは野田秀樹だったな、と全面的にその意見に共感/賛同したし、平田オリザさん、ケラさんらも賛同の意を表明した。

 

で、今朝、この野田さんの意見書には賛同だけでなく、批判や疑問の声も多数出ていると知り、驚いた次第。

なんか単純にみんな共感すると思ったけど、そうではないのね。まあ一律にみんなが賛成するのも気持ち悪いし、これを元に議論や再考や再開に向けての具体的な提案とかになれば良いんだから、もちろん批判疑問あって良いとは思う、というか批判疑問あって然るべきだ、とは思う。

ただ、個人的な考えとしていうと、批判や疑問の多くが、野田さんの真意をわかっていない(あるいは意図的に捻じ曲げている)し、野田さんの発言はもっと先まで行っていると思うから、ああ、人間は難しいなあと思う。

 

批判の多くは、「災害とウイルスは違う」とか「人は死んでも生き返らないが、演劇は生き返る」とか、果ては「2週間待てないのか」とか「野田秀樹が食うのに困るとは思えない」みたいなこと。だけど、野田さんの意見書をきちんと読めば、野田さんの言っていることはそんなことじゃないと読み取れるはずなんだけどね。と思う。

そもそも野田さんは最初の前提から「感染症の専門家と協議して考えられる対策を十全に施し、観客の理解を得られることを前提とした上で」と言っています。

闇雲に公演を打つべしとは言っていないし、今、公演中止を決めているほとんどの団体(その主催)が、(おろらく)そのような検討をなしに、政府からの要請に右倣えした形で上演を中断しているであろう現実に危惧を表明しているのです。

コンサートイベント興業エンターテイメントや学校の閉鎖自粛要請が、計画性も科学的根拠も説明されないままに、そもそも1〜2週間という時間の単位の起点がどこにあるのか不明という形で行われており、その「空気」の中で実行されているだけであることは、多くから指摘されています。でしょ?だってもっと危険な空間は放置されているじゃないですか?もっと資本主義的に金になる空間とかも。

野田さんは、「演劇公演の中止」が、本当に「考えうる限りの手を尽くした上での、最後の最後の苦渋の決断」なのかを、自らを含む演劇人に問いかけているわけで、自分のやりたい芝居をただ無責任にやりたい!やらせろ!って言っているわけではないのですよね。

 

おそらく「災害とウイルスは違う」という人は「災害とテロは違う」「災害と戦争は違う」と言うでしょう。

今の日本の歴史的状況の中(この空気がどんどん薄くなっていくような)、及び日本がかつて辿った歴史的状況を踏まえた中で、この意見書を読まなくてはならない、のではないでしょうか?

と言うわけで、もう一度、この意見書を読んでみてください。

特に野田さんの芝居をみる人なら、よく知っているはず。

野田さんの言葉にはいくつもの意味があることを。

コロナという言葉が、他にどんな言葉に置きかえられるのか。