「レディ・ジョーカー」、高村 薫、新潮文庫
を、ついに読了しました。

下巻のうしろ半分くらいはまさに怒濤のように本を閉じることができずに読み終えました。涙が出そうでもあり、涙を流すなんて、安っぽい感情移入を拒むほどに圧倒的でした。

で、「組織」と「幻想」。
本書は、「組織にいきる人間」ということがひとつの大きなモチーフになっており、主人公のひとりである、合田雄一郎が、ある晩、悟るように次のように述懐する場面があります。

「組織とはたんなる空集合で、そこに含まれる個々の構成員が完全に演算可能な記号であるときに集合も完全なのだとすると、この観念上の組織は、自分たちが日ごろ考えている組織とは別ものであるほかない。しかしまた、構成員が全員記号になるような組織は現実にはあり得ず、構成員はみなそれぞれに人間をやめることはない。自分たちは組織という集合になんとなく人間の欲望の足し算や引き算を見、非合理を見、嘆息し、絶望し、そうすることで仮想の構成員を生きているだけなのだ」
「組織で生きる苦しさとは、幻想でしかないものが身体の体験となる、この一人芝居のことなのだ」

最近、自分も、自分の生きる組織(僕にとっては劇団というもの)について、考えることが多く、悩むことが多いなかで、この場面に出会い、
そうだ、そうなんだよな、
と、深く考え込んでしまいました。述懐。

で、まあ、「レディ・ジョーカー」ですが、これは、現代日本の「カラマーゾフの兄弟」ですね。ドストエフスキーです。
つまり、どういうことかというと。

ここには全てがある。

ということ。

「人生に必要なことはすべて「カラマーゾフの兄弟」に書いてある」
と言ったのは、カート・ヴォネガットだったかどうか、うろ覚えですが。つまり、そんな気分。
(尚、その台詞は、「でも、もうそれだけじゃ足りないんだ」と続く。)

というわけで、僕は、
「レディ・ジョーカー」は、現代日本人の必読書、高村薫は読まれるべき作家だと想います。
これぞ、小説!!