同窓会の連絡用にFacebookを作れ、と何度目かの勧告がありました。
若者のFacebook離れがあちこちで報告されてますが、若くない人たちにとっては未だに楽しいオモチャらしいですね。聞くところによれば、日本のFacebook人口は約2,000万人、だそうです。5人に1人?---多いといえば多いし少ないといえば少ない。微妙な線。さしあたり、現時点における巨人ファンの数よりはかなり多いんでしょうが。
個人的には、Facebookはあまりやりたくない。
理由は単純で、個人情報の管理が面倒だから、です。なにしろ自己管理ができない人間なので。
もっとアリテイに言えば、「自己管理」なんて姑息なことはできればしたくないと思っている。
何の思惑も目算もなく行き当たりばったりに生きて死ぬ、というのが昔からワタクシの理想であります。
「災難に逢うときは逢えばよろしく、死ぬときは死ぬがよろしかろう」と一休禅師も言ってます。
勿論、「この情報化時代に個人情報も管理できないなんて社会の迷惑です」という正論があることは私だって知っている。だからこそ、SNSとか他人とみだりに繋がっちゃうようなオンライン活動は自粛してるわけで。
そりゃ「リア友がデジタルメディアをどう活用してるのか?」という実態には興味があるし、「あいつ一体どんな記事upしてるんだろうね?」という覗き見趣味もあるけど、覗き見たあげく「見なきゃよかった」と後悔しそうな予感がヒシヒシとする。「Facebook始めたけど、自分のリア充ぶりをこれ見よがしにupしまくる友達に疲れたからもう退会したい」という人が意外と多いそうですから。
かなり前のことですが、「所詮ブログなんてチラシの裏」という言い方が流行った時期がありました。
自分の日々雑感を匿名で書き綴ってるだけのブログなんて所詮は単なる自己満足で、他人からは「そういうことはチラシの裏にでも書いてろ!」と思われてるんだろうなあ、というブロガーさんの自嘲ですね。オープンな掲示板に私的な感想を長々書き込んじゃって、「チラ裏スマソ」とか謝ってる人がいたりして---いずれにしても、当時のインターネットには、「個人が発信するどーでもいい情報は『チラシの裏』と言われても仕方がない」という共通認識があったんです。
これに対してFacebookは「チラシの表」ということができましょう。
チラシの表とは何かといえば、要するに「広告」です。
実名を原則とするFacebookは、基本的に「ボク自身のための広告」だと私は考えております。広告だから、発信者は自分の内情をそのまま記事に反映させたりしません。自社の評判にとって不利な材料を広告に盛り込む企業はないでしょ?実態はブラック企業かもしれない会社が、「自由でリッチで開放的なモダンライフの提言」を広告で謳ってたりするし。
Facebookの書き込みがリア充自慢だらけになるのも同様な事情です。まさか自分に関して大々的なネガティブキャンペーンを展開する人はいないでしょう。誰もがポジティブな情報だけを公開し、旅行とか会食とか「リア充」をアピールできるネタだけをお見せする。その結果、「見て見て私のステキ生活♪」みたいな記事でタイムラインが埋め尽くされるわけですね。でもって、辟易した友人にこっそり「非表示」にされたりして。
まあ、「広告」なんだから見るのも見ないのも自由です。脱力ものの上げ底リア充記事が友達全員から非表示にされたってトラフィックが目に見えて減るわけじゃないから、運営母体のFacebookだって文句は言いません。リア充アピールして自尊心が満たされた発信者も含めて皆がシアワセ。こういうのを「win-winな関係」というのでしょうか?---なんか嘘くさいけど。少なくとも、見たとこ貧相な「チラシの裏」には何がしかの真実があったと思う。
それはそれとして、同窓会連絡網のためのFacebookってどうしても作らなきゃダメなのかなあ。
いっそのこと、公開制限なしにして毎日更新しまくって友達申請も受け付けまくって、
集めたデータを丸ごとどっかに売っちゃおうかしら。
既に沢山ありそうだけどね、そういうポリシーで動いてる組織が。
