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■家康が関東入りした理由?

 

 

 

家康が関東入りしたのは、秀吉による奥州への街道建設の命令とされる

 

 

秀吉から見れば、

滅ぼした北条の残党の再結集を断つ監視役の意味もあるし、

箱根を隔てる事で、万一の家康の謀反挙兵の際、兵を集める時間を稼ぐのもあるだろう

 

 

そんな旧北条上杉の系統の江戸城に入府する頃、

家康は駿府城にて、

 

中庭に、体毛のない、肉の塊の謎の生き物が居るのを発見し、城内大騒ぎとなったという

(江戸時代随筆・白沢図)

 

家康はどこか人の居ない所へ捨ててしまえと命じたが、

家来たちが追っても、俊敏に逃げて居なくなってしまった

 

識者によると、それは中国の古書にある封という生物で、物凄い滋養強壮効果があるとして、

判っていれば家康公に食させ候えたのにと悔しがったとされる

 

 

 

そしてその謎の生き物は、

時々、指のない手を上に向け、空を差していたという

 

これは、その生物が空(宇宙)から来た事を教えようとしていたのではないかとされる

 

家康はそれを不吉で、ここに居ては身の危険や病に倒れる予兆と捉えたか、

「東の方へ向かうべし」といふメッセージと直感した可能性もある

 

 

最初は小田原城への入府を命ぜられたが、家康が武蔵東端の江戸城に変えたとも言われ、

江戸城の城下町も東へ、東へと開拓している

 

 

残存している書物が少なく、これに関する記述を照らし合わせる術はないが、

 

遠州や駿河から、大勢の漁師や技術者、商人を呼び寄せているが、

 

今の静岡が中途半端に地元街に甘んじているのは、新幹線が静岡を通過した事もあるが、

家康がこの時、駿河界隈を街ごと引き抜いた事も大きかったのではないか

 

 

これらを合わせると、家康は駿府城での謎の生物騒動で、

 

江戸定住(初期は駿府城に身を置いた往復らしく)も、

駿府城下町の江戸引きも、

江戸城下町の東方拡大も、

 

突如決行した事になる

 

 

 

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■知っておきたい警察の取調べモード(2016年3月30日投稿)

 

 

 

警察官の職質や刑事の取り調べ、

(丸で犯人であるかのような態度で許せん!裁判しちゃる!)

みたいな話も全国ゴマンと聞く。


実際にその強圧的犯人扱いに気が滅入り、
やってもいない犯罪を認めてしまう冤罪も起こるのだが、

あれは、話の矛盾を無理やりほじくって突き、
とぼける犯人を認めさせる“追及モード”のマニュアル。

つまりワザと。


それを知らない人は、
突然犯人扱いされカッカしてしまうのだが、

一定の質問で「解除」になるので、
それまでは“演出”に付き合ってあげて欲しい。

マニュアルなのだから。


実際に賃貸マンション、アパートなど集合住宅を持つ人、
自宅に高齢の親を持つ人は、

死に立ち会うケースがある。

一応「第一発見者」として、
やること為すこと、言い掛かり口調で暫く聴取を受ける。

今は始まりに
(死亡が事件ではない事が判るまで、敢えて失礼な事を言いますが、どうかご勘弁下さい)
みたいな前置きをして“追及モード”のマニュアルである事を予め明言する。


この派生が、警ら隊(パトカー)や交番での犯人扱いである。

勿論、違うと判れば“解除”となるが、
職質が2000年以降、凄く丁重になったでしょ。

あれは、そういう職質マニュアルを新たに作成したから。
作成したご本人は定年退職して良くマスコミに出演したり、講演しているので知られているが、

そのきっかけに自分も恐らく関係していたかも知れない。

とある暴力団や不良少年グループが闊歩している街に、仕事で行った。

街柄で職質を受けた。

普通、持ち物も見て何もなければ即解放で終わりなのだが、

大都市の多人数地域課は、
ハッキリ言うと少人数で使い物にならない地方人が回される。

いきなり(おだぐ、国はどご?)

といきなり訛っていて何を言っているのか解らない。

仕事で急いでいるから必ず10分以内に終わらせるならいいと受けたが、
やはり頭があれな人なのか、
大勢若い警察官を呼んで囲わせ、2時間以上に渡り全身取り調べ。

そして

(あいっ、帰っでいいよ)

おいっ、いいよじゃないだろwww
今から言う部署に電話しろ、
そして○○に替わって。


当時、酒鬼薔薇事件があり、
荷物を持った通行人を片っ端から職質掛けろと大号令が掛かっていた。

常識として人に手間暇、時間を割かせるのだから、協力はお願いし、嘘でも礼ぐらいしろと言ったんだwww

 

 

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