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■失格輪に転覆

 

 

 

福岡準優で期待の新鋭・近江が2Mで単独転覆

 

流れて、内に4号艇入ったの見えて、内に大きく重心取った時に、舟が内にハネたように見えた

 

流されたのは、全速で握るの早くてウネリに持って行かれたか

 

 

 

川崎で新人・荒川が1着失格

 

番手飛び付かれそうになったので、

降りるに降りられず外を進んだが、

 

それが先頭選手の過度牽制によるイエロー外の走行時間オーバー取られた

 

 

不運っちゃ不運

 

 

ただし、ラインで出切るなら、ホームからではなく、3半から踏んで、4角イエローおろして、

1コーナーに差し掛からないように走らないからでもあった

 

 

 

高松2日

 

竹野が包まれ、抜け出す所で、後続の前輪を払って車体故障させてしまったので、

こらは結果責任で自動的に失格

 

 

自分の幅を確保しようと振ってしまったのがミス

 

カーボンはクロモリのように小技が利かないので、急に斜行されると、多少予測できていないとよけ損なうので、

 

振らずにグリグリ出て行けば良いのに何でわざわざ振ったのだろう

 

包まれてイラっとして無意識にやったのかな

 

ノルアドレナリン状態だと意図せず身体が過剰反応する

 

 

 

 

 

 

 

 

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■秦短命の怪

 

 

 

古代中国とか中国の歴史と言う時の「中国」は、「国」ではなく、ユーラシア大陸の東方中央部という「地域」の意味

 

中国といふ国が4千年続いている訳ではないし、漢民族といふ単一民族が14億人中12億人も居るはずもない

 

 

もし居るとすれば、歴史的に他の大所帯民族の1万倍、

春と秋に数人ずつ産む犬や猫か、一度に百個の卵を産む昆虫同類の生命体といふ事になるwww

 

 

国民に様々な制約を掛け、無理矢理に漢民族を名乗らせた、政治統制上の呼称に過ぎない

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、秦の始皇帝の秦

 

 

中国内陸にある秦

 

下流は洪水となり、またライフラインとなる木々の多さから、古代王朝は中原(ちゅうげん)が最大の首都だったのはあるが、

 

その西に勢力を持つというのは、地理的にペルシャから東欧の王朝に追われて移住し、そこで世代を経て勢力を蓄えたと見るのが妥当だろう

 

 

やはり遺された歴史書の記述や、諸々の文化・習慣から、ユダヤ系の王朝であるとされる

 

 

今の中国や古代日本の律令体制などは、秦が教科書となっている

 

秦は統一後、程なくして、易学官僚である徐福を倭国へ送り込んでいる

 

しかし、着港した出雲で追い返されたとされるが、書物によっては出雲王朝が暫く様子見に置いて、その間に倭国女性との間に子供をもうけたとも書かれている

 

ともかく一度、秦へ戻り、出雲着港から約10年後、今度は職人や子供たち3千人を伴い唐津に着港し、そこから出雲外郭などの山々に子供たちを振り分けて住まわせたとされる

 

 

3千人の子供たちが成人すれば、数世代で1万人を超える

 

 

この徐福のもうけた子が天皇の子孫という説が、様々な神話や口伝の系図から可能性高さを伝える研究者が増えている

 

天皇家の正統系統は代々お鼻が高いのは、紛れもなくユダヤ系の証

 

 

この二度目の来航の直後に、秦の始皇帝は息を引き取った

 

徐福は結局、不死の薬草を探しに渡来したまま、日本に住み着いた、つまり秦を捨てて日本に亡命した事になる

 

 

徐福曰く、中国大陸に移り住んだ倭人が、

古代中国文明を伝え、そして古代王朝を創った

我々はその末裔

 

という話をして、それを文書にまとめている

 

 

研究者によっては、

 

秦の始皇帝は、争いの絶えない中国大陸から、祖先の地の日本へ骨を移す事を伝えていたのではないかと解釈する人も居る

 

 

二度目の来航から直ぐに逝去した事から、

既に病状はかなり悪かったのは間違いないだろう

 

 

 

定説では、秦の始皇帝は、そのあまりの強圧的、絶対服従の恐怖政治により、

それに反発した官僚、家臣たちが争いを起こしたとするのが定説だが、

 

 

秦の滅亡の裏には、とある一人の側近の、異常なまでの虚偽陰謀があり、

 

始皇帝が次の皇帝に指名した遺言を、全くの嘘の遺言に書き換えて、全く統制能力のない若い手下を指名した事にし、

本来の指名者を、言い掛かりにて死刑処分

 

 

 

有名な「馬鹿」の語源

 

その虚言言い掛かり処刑宦官が、

自身が担いだ若い皇帝の宴会の席にて、

 

「凄い名馬を手に入れた」

 

と部屋に通すと、それは鹿だった

 

 

 

 

そこで失笑した官僚、問いに馬と答えず「鹿」と答えた官僚たちを次々処分した

 

上の者が馬と言ったら、鹿でも馬だと答え、絶対的忠誠を示さないと行けないという

 

 

 

なので本来の「馬鹿」というのは、

 

目的の為には目先の細かい事は目を瞑り一直線に進む事

 

(特化した人を○○馬鹿と言う)

 

 

或いは、状況によって、相手の心を察し、解っていて相手話を合わせたり、自分の表面的体裁をかなぐり捨てて行動する事

 

(馬鹿になると言う)

 

 

 

など、本来の意味は、優秀な者が敢えて演じたり、がむしゃらになる事を指し、

決して頭の悪い人には出来ない

 

 

 

このように、嘘を塗り固めたり、異常なまでの絶対服従を強要した、頭のおかしい権力幹部の暴走によって、

 

誰も付いて行かないどころか、敵対国に加勢してまでも滅ぼされ、

 

代わって中国大陸を統一したのが漢となった

 

 

これらの事から、秦の始皇帝の横暴で滅びたというのは間違いだという事になる

 

徐福は始皇帝を裏切ったのではなく、この異常な宦官の言動に折り合いが悪かったり、強い負の電磁波及び滅亡の運気を感じ、

 

またもしかしたら逐一、始皇帝の容態と、秦の乱れを伝え聞いていたのかも知れないし、

 

大陸に墓は造れど、骨は実はこっそり日本に持ち込んで、名前を替えて埋葬しているのかも知れない

 

また徐福(ジョセフ)は、日本を制圧し自分の国にしようとした、乗っ取ったと記す研究者も居るが、

 

易学祈祷師であり、本当に祖先の生まれ故郷である日本列島の安寧を祈りに、

 

出雲の外郭隣接の山々や、九州、近畿などの山に子供たちを住まわせ祈祷させたのだはないかとも考えられる

 

この徐福の不死の薬草探し道中、

富士山の麓に、超高度な文明が栄えていた話を聞き、徐福は書に書き残している

 

富士山とは、不死山であり、徐福が名付けたとも言われる

 

 

 

 

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■ねじれ道放置の恐怖(大阪駅前暴走、2016年2月26日投稿)

 

 

(PCのフォント設定によっては
ズレる場合があるかも知れないが)



   | |   
   | \_____
   |
__/ 
 ■ →→→→→歩道
ー↑ー  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ー■ー |大阪新東急ホテル
ー ー |
ーーー |
    |
__  |
ヨ \ |
ド  | |
バ  | |
シ  | |
カ  | |
メ  | |

大阪駅




防犯カメラ、目撃情報、現場接触痕などから


交差点100m手前で
車列から離れ
左に寄せて停止
    ↓
ハンドルから手を離し下へだらんと垂らし
うなだれた状態
    ↓
1分10秒後、突然急発進
    ↓
左の縁石、ガードレールに当たり押し返されて
左車線を時速40km程度で直進
    ↓
交差点を真っ直ぐ走行し
そのまま進行方向の歩道に乗り上げ
    ↓
約40mほど走行し
ホテル前の工作物(花壇)に衝突し停止




160226_1810~01.jpg
160226_1810~02.jpg
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(図が判り易かった毎日新聞より)





確かに走行したのは左折レーンなのだが、

直進するとそのまま歩道を走行できる構造が今回のポイント。


この場所は何度も通っているのだが、
徒歩だと、

車が“つづら折り”に信号待ちの歩行者に接近してから曲がるので

こなれてスピードを出す車が来ると
かなり恐怖感があり、
ついドライバーの目を見てしまう場所である。


歩行者の多い交差点は
歩道に車止めの工作を施していない所もあるが、

それでも例えば東京なら車の進入を妨げる構造が多い。

これがあれば防げた可能性の高い事故だった。




運転に慣れていれば、
意識が遠退く数秒の間に、

条件反射的にシフトをPにしたり、
エンジンを止めるなど、

何らかの走行防止処置を施しそうなもの。

以前、高速バスでタイヤ直撃した運転手も即死ながら
車両を止めて絶命している。

しかし事故の運転者は大動脈解離との情報。

これは救急車で病院に到着する前に
死亡してしまう例の多い、
非常に致死時間の早い症状。

医学的には高血圧が大きく関係し、
直前の減量は要因ではないという見解。

 

 

 

 

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