英語が不得意な母親の奮闘記
子育てって本当に難しいですよね。
笑われてしまうかも知れませんが、自分が育った時々の感情を元にしています。
家に帰ってその言葉を使いたくてたまらなかった私は時たまを使える会話はないか?とズーッと考えていました。
今日ねー ◯◯ちゃんが先生に褒められたんだよー
(私)は?褒められたりする事はあるの?
うん
時たまねっ!
・・・・・・・・。
夫にもこの方法で接しています。
この言葉はとても意味深いと思います。
子育てって本当に難しいですよね。
正解が無いに等しいから、子育て中の親は「これが正しい」と確信したものを軸に子育てしていると思います。
私も長女を育ててる時に育児本を死ぬほど読み漁りました。
正しい子育てのしかたを知りたかったからです。
初めての育児は手探り状態。
子供にとって何が良くて、何が悪いかなんて子育て中には気付かないもの。
子供が多少大きくなってからこんな風に育てたのがいけなかったのか、、、と後悔する事も。
私の場合、育児本を読めば読むほどこれは私が求めている育児ではないと、本を頼る事をやめたのだけれど、では何を軸にしたかと言うと、、、
それは私の子供の時の心、、、
ん??? なにそれー?
笑われてしまうかも知れませんが、自分が育った時々の感情を元にしています。
子供の時に親に対して色んな感情って持ちませんでしたか?
もっと褒めて欲しいとか、今やろうと思ったのにどーして今それを言うーー!!とかetc
今でもはっきり思えてる事があります。
私が小学1年生の時の話です。
学校で友達と話している時に、その会話の中で彼女が「時たま」と言う言葉を使ったのです。
時々って意味だと思うのですが、その言葉が当時の私には眩しく感じたのです大人っぽい言葉でカッコいい!
家に帰ってその言葉を使いたくてたまらなかった私は時たまを使える会話はないか?とズーッと考えていました。
夕食の時、意を決して時たまを使えそうな会話を持ち出してみました。
母) 勉強で褒められたの〜〜 それは凄いね。
キターー 時たまのチャンス!


時たまねっ!ドヤ顔で時たまを使い満足な私
母) 時々しか褒められないんじゃダメじゃない〜
時たまと言う、カッコよく思えた言葉を使ったばっかりにダメ出しされてしまったのです。
私の妄想での母の正解言葉は「あらっ時たまなんて言葉を知ってるのねー 凄いね」、、、だったのです。
褒めて貰えると思って使った時たま。
その時の会話も、私のショックたった気持ちも鮮明に覚えています。
子供の心って奥深いですよね。
こんな経験から、自分の子供時代の感情を思い出しながら育児に取り入れていました。
育児と言うと子供が可愛いからと言って、何もかも世話を焼いてあげる人も多いと思います。
そんな子育てをしている人を見ると、例えが悪くてスミマセンが、、
私には首輪をして鎖で縛られている外飼いの犬にしか見えないのです。
周囲は危ないからと、視野にいつでも入る様に鎖で行動範囲を決め、そしてその場でお腹が空けば餌をあげる。。
親のテリトリーの中で子供を育てるイメージです。
私の育児イメージは遠くに柵を作ります。
「ここまではokだけど柵を超えるのはNGだよ」って言う意味の柵です。
柵の中では自分の思う様に考えて行動しなさい。
お腹が空けば自力で餌を食べに来なさい。
こんなイメージです。
夫にもこの方法で接しています。
育児の仕方に正解はありません。
ありませんが、どの親も力強く生命力のある子供に育って欲しいと願っている筈だと思います。
昔は「もやしっ子」と言う言葉がありました。
外遊びもしない様な子の事を比喩した言葉ですが、現代版「もやしっ子」は遊び以外でも管理された中で育つひ弱な姿ではないでしょうか。
人間は考える葦である
私が小学生の時に通っていた塾の先生に教わったパスカルの言葉です。
パスカルの《パンセ》の中にある言葉。〈人間は一本の葦にすぎず自然のなかで最も弱いものである。だがそれは考える葦roseau pensantである〉。パスカルは,人間は孤独で弱いが,考えることができることにその偉大と尊厳があるとした。〈思考する存在〉としての近代人の精神をよく示す句。
この言葉はとても意味深いと思います。
そして私の大好きな言葉です。
考える事の出来るのは人間のみ。
反対に言うと、考えると言う力を持ってこそ人間なのだと思います。
考えられる人間。
それは鎖に繋がれ、餌を定期的に貰える状態(過保護)では不必要な為に育たないかも知れません。
どうぞ、小さな事をいちいち禁止するのではなく
遠く遠くに杭のある広い草原でのびのびと子供を育ててみて下さい。(イメージ)
きっと子供はその中でいろんな経験をし、お腹が空けば自分の意思で餌場まで戻って来れる様なたくましい子供に育ちますよ。
