こんにちは。ここ数日はメンタルブレイクしながら戦車に乗ってました。私です。

さて、今日のテーマは障害者です。やや話題に乗り遅れてしまった感が否めませんが、個人的に新たな発見があったのでそれを書き記したいと思います。


先週だったかいつだったか、夏休みで時間の感覚が失われた学生が思い出せないぐらい前に24時間テレビと、その裏番組としてNHKでバリバラという番組がやっていて、それが話題になりましたね。主にバリバラを支持する形で。
ここで逆説を挟むと世間に逆行するかっこいい筆者として名を馳せることができたのでしょうが今回はそうじゃありません。

今回は、私が24時間テレビが嫌いでバリバラはそれなりに気に入った理由がなんとなくまとまったのでその話です。
先に結論を言ってしまうと、障害者がそこにいるのではなく、障害者と周囲から定義された人がいるという考え方が元になっています。

今読んでる本で、障害と(身体的、精神的な)機能欠損を分けて記述していたのでそれをパク…お借りすると、例え何らかの機能欠損があったとしても、それを自分も他人も気にしないで生活できる環境があるならその人は障害者では無いのではないか?
ということです。

私たちが目指すべきは、何らかの機能欠損があっても障害者にならない社会ではないでしょうか(ババンッ!

という理想論を高らかに歌い上げたところで本題に戻りましょう。

なぜ24時間テレビが嫌いなのか、ここまで来れば何となく読めるでしょう。
あの番組が取り上げる障害者像は、「不自由で」「他人の助けを得て生活する」部分を強調した障害者像です。
それは、私たちが目指すべき理想とは逆行するものです。
確かに、理想に目が眩んで現実が見えなくなることは忌避すべきことですが、24時間テレビはそういう取り上げ方をしているわけではありません。
だから嫌いです(小学生並みの結論)

対してバリバラでは、障害者が健常者と変わりなく対等な場でコミュニケーションを行い、討論をするという形式をとっています。それは目指すべき理想のたとえ一部分であれど達成された環境ではないでしょうか。
少なくもと24時間テレビにおける「支えられる障害者」と「支える健常者」イメージよりはかなり良いものだと思います。


はい、ここまで24時間テレビとバリバラにおける障害者の捉え方の違いについて私の視点から話をしてきました。
こういうめんどくさいものに関しては、後から変えてもいいので自分なりの考えを持っていると何かと騙されにくいのかなとか思ってます。暇な時にでも自分の障害者に対する捉え方を整理してみてもいいのではないでしょうか。と

ここまでお読みいただきありがとうございました。また話題を思いついた時に更新します。



おまけ
障害者にPerfect Humanを躍らせたのが批判されてますが、あの曲は唯一絶対の勝者中田を讃える曲なんで中田に負けた敗者として他全員は平等な感じしますし私はあれはあれでアリだと思いますよ。24時間テレビの障害者の描き方の下でやるのはアレですが。曲の内容的にはまぁまぁ。