親が子供に何を  教え  ようというのか。
 


その凝り固まった価値観か
その妄想に包まれた恐怖か
その数少ない成功体験か
その、ひねくれたあきらめか
 
 
 
その  偏った 正しさか
その  恐怖に満ちたルールと腐ったプライドか
その  達観したような  絶望か。
 
 
 
すべてを誰かのせいにするその生き方か。
我慢して、犠牲的な人生か。
 
人生は苦しいんだ、多くを望むな、
という生き方か。
 
 
 
わかった風に
 
そんなものなら、
教えない方がよっぽどマシだ。
 
 
 
それとも、
教えるのは
 

 
人生の素晴らしさか
人の個性や素晴らしさか
人生の素晴らしさか
その子の可能性か
 
 
 
それを伝えられているか。
 
 
 
さあ
 


なにを    教え   ようとするのか。
 
 

その   親   という上から目線で。
 
 
 
先に生まれたから
正しいとは限らないのだ。
 
 
 
先に生まれたから
教えなければならないとは
限らないのだ。
 
 
 
唯一教えられるのは
人生を楽しいということと、
人生はなんとかなるということと、
 
 
 
お前は素晴らしいんだ、
出来てもできなくても素晴らしいんだ、
 
無限の可能性があるんだ、
自由なんだ、
 
 
 
失敗してもいい
恥かいてもいい
迷惑かけてもいい、
 



それで、いいんだ、
ちゃんと愛され守られているんだ!
 
 
 
ということ
じゃないだろうか。
 
 
 
 
そして、これを
親や、先生、上司、夫に読ませたい、
 
 
というその責任転嫁の姿勢も、
 


子供は受け継ぐんだ。
見ているんだ。