令和元年のテロリズム を読みました
磯部涼氏の「令和元年のテロリズム」を読んだ。ルポ川崎の著者でもある氏が、令和元年に起った殺人事件を掘り下げたルポである。 登戸で通園の為に、バス待ちをしていた児童と保護者に背後かナイフで襲い掛かり20人を殺傷した事件、その後犯人は自らの首を斬り自死している。 引きこもりの我子を、包丁で殺害した元農林省事務次官。そして京アニ事件の犯人青葉被告。いずれの事件も、氏の丹念な取材から犯人側の心理に迫って迫真のルポとなっている。 犯人が自死したケースでも出来るだけその犯人の内面に迫っている。 京アニに事件の被告である青葉被告の場合、いかに劣悪な環境に育っても殺人を犯すべきでないという世間の言葉がある。が、氏は青葉被告の過ごして人生を辿り、その人生の軌跡の絶望に同情する。実際、氏は、被告の母親に面会までしている。その丁寧な取材に頭が下がる思いである。 この令和の閉塞感は、日本の先送り体制にある、つまり誰も責任を取らない社会が閉塞感を生んだという氏の意見に賛成である。 私見を述べると、戦後、朝鮮特需から高度経済成長期に企業を率いた者は、優秀だからその企業を成長させる事が出来た。否、誰が経営者でも企業を成長させ、スター経営者に成れた。時代がうなぎ上りであったから。その証拠にバブル崩壊後の経営者の醜態、特に都銀の経営者は最後は国民の税金で延命さえした。その上、失われた35年が続く。そして誰も責任を取らない。そして今がある。