辻政信の真実 失踪60年-伝説の作戦参謀の謎を追う を読みました
前田啓介氏の「辻政信の真実 失踪60年-伝説の作戦参謀の謎を追う」を読んだ。近現代史にその名を刻む半藤一利氏が、生前の辻政信に会って「絶対悪が目の前に存在するとその第一印象を述べている。 後に辻政信は政治家に転身している。私の知る限りにおいて、政治生活においてこれ程清廉潔白な政治家は犬養毅と辻政信だけである。 氏は先入観を捨て、辻を出来るだけの資料と当時の生存者への取材で冷徹な視点でこの著作を著した。辻政信の生い立ちに圧倒された。 辻は、能登半島の寒村 今立に炭焼きの息子として生を受けた。家は貧しく、幼い弟を背負って尋常小学校へ通う。が、その勤勉さで、当時最難関の陸軍幼年学校の入学試験に合格し、幼年学校、陸軍士官学校を首席で卒業する。言葉で書くのは簡単だが、これは奇跡に等しい荒事である。その後、難関の陸大に入学し恩賜の卒業生となる。そして初陣である上海事変に従軍し、捕虜となったのちに帰還した上官と、上官が死亡したとして引き上げの処置をとった上官。この2人は後に1人は自死しもう一人は自死未遂を起こす。辻は生涯、この2人の上官をかばい続けた。 辻は陸士教官時代に、後の226事件に通じる士官学校事件に関係する。そこで、青年将校側と反目する側の立場に置かれる。その後、参謀本部にあり、ノモンハン事件、太平洋戦争時にはマレー作戦、シンガポール作戦の参謀として、なんと戦線の最前線に立つ。ついたあだ名は「作戦の神様」である。しかし、辻にとってはそんなあだ名はどうでも酔うことであろう。 マレー作戦においては、直接の戦闘員でないマレー現地華僑数万人を処刑し、シンガポール作戦では数万の英米捕虜を死の行進で死に至らしめている。これらは全て辻の発案とされる。 半藤一利氏が、辻を絶対悪と捉えたのはこれらの無慈悲な捕虜原住民の虐殺が辻の行った事だとの認識があったのだろう。辻が戦後「先行3千里」から日本の政界に登場しその後の活動の履歴を知ればと、悔やまれる。 1961年 国会議員として東南アジアへと旅たち行方不明となった辻。まさに凄まじい人生である。氏が、関係者へ当たりその証言を集める事により辻の再評価がなされると感じた。