モロッコへの入国資料を記入しようと、船内へ戻る。しかし、甲板に出る前にペンを貸したモロッコ人が見当たらない。船内をぐるぐる歩き回り、やっとの事で見つけた彼はソファーで安らかに寝ていた。英語も通じず、Penとジェスチャーを交えて何とか返してもらい、せっせと記入を済ませる。船上で入国審査を済ませるのは斬新だったが、予想通り適当な検査で即通過。
そうこうしているうちにアフリカ大陸が見えてきた。

岩がむき出しの岸壁。その迫力に、たった2時間半の航海だったが、ジブラルタル海峡に隔てられたユーラシア大陸との異質性を感じずにはいられなかった。フェリーはモロッコ北部で最大の街、タンジェに入港するはずだった。今頃、白と青の輝けるイスラムの迷宮が目の前に広がっているはずだった。しかし、私の目の前には醜い岸壁と、その先の荒野しか広がっていなかった。当然、「ここは何処だ」と、港の警備員に聞くと、あろうことか聞いたこともない地名で、その他訳の分らぬ事を言っていた。しかし、ひとつ確かだったのが、私はあれ程アルヘシラスでスペインのクルーに確認したにも関わらず、フェリーを乗り違えたという事。そして、目指していた街、タンジェは30kmほど西に位置しているという事。ここにきて、何故あのフェリーがあれ程までに閑散としていて、他に旅行者が居なかったのかようやく分かった。
他の乗客は、ある者は家族や友人に車でピックアップされていき、ある者は当ても分からないが、徒歩で荒野に消えていった。そして、バックパックを背負った、小柄な東洋人の私だけがポツンと取り残された。辺りを見回すと、ドックから少し離れたところに退屈そうに群れているタクシードライバー達を見つけた。他に交通手段はなく、完全に売り手市場。タクシードライバー達は、願ったカモが掛ったと言わんばかりの笑顔で私をもてなしてくれた。「タンジェに行くのか?」「そうだ。」「20EURだ」。意外に安く私は拍子抜けした。モロッコの物価水準でいえばべらぼうに高いが、とにかく10:45発フェズ行列車に乗りたく、あっさり承諾した。すると相手も少し拍子抜けした様子だったが、すぐさま後ろに乗れと、エンジンをふかしてくれた。きっと、タクシードライバーが騙しなれない程、旅行者が訪れない所に来てしまったのだと思っているうちに、タクシーはアフリカ大陸を駆け抜けていった。