一昨日
2週間ぶりに娘のピアノのレッスンがありました。
この2週間はもう、今日が何曜日なのか?いつ師走に入ったのやら?
自分が今どういう状態なのかがわからないまま、心にポッカリ穴が空いた感じで過ごしてきました。
11月27日.、実の母が旅立ちました。
実家とは車で10分ぐらいの距離なので、(日)以外は毎日夕方から実家に寄り、一緒にご飯を食べて、ごく普通に親子の会話をし、時には言い合いもし、また明くる日ケロッとして訪れて…という、実の母子でした。
亡くなる前夜も特に変わりなく、当たり前に明日と言う日が来ると思っていたしで、私がちょうど帰りに車乗ってエンジンかけた頃に、母がいつものバイバイ👋ってしたLINEのスタンプがきて。
あ~またか!と、既読無視して、さっさと家に帰りました。
帰るわ~とも、また、明日来るわ~とも言わずに、すっと帰ってきてしまったのが悔やまれます。
生きていた母の最後の証が、そのLINEのスタンプとなってしまいました。
秋以降、少し食欲が落ちたというか、食が細くなったな~とは感じてましたが、本人曰く、「自分の体は、自分が一番よくわかってるよ、大丈夫やよ!」っていつも言っていました。
過去にも何って病名もなく、通院してるわけでもなかったのに。
翌日夕方、ちょっと寄り道していていつもより遅めに実家に行くと、ベッドの上で眠るように亡くなっていました。
信じられないというか、何が起こってるのかわかりませんでした。
母のお腹の上には、愛用のスマホが置かれていました。
私に何か連絡したかったのかな?
救急車でも呼ぼうとしたのかな?
今となってはわかりません。
呆然としながら私が救急車を呼んで、来てはくれましたが、乗っていける状態ではすでになくて、そのあとすぐにもう警察が来ました。
十数人があがりこんできて、第一発見者の私に、いろんな質問攻めです。まるで刑事ドラマのようなやりとりで・・・
どう考えても第一発見者の私を疑ってかかるような言い方で…
警察医がやっと到着して、極めて事件性のない自然死ということが判明し、やっと警察の方々も帰っていきました。
昨夜最後何を話したっけ?
亡くなる前に一人で、何を私たちに言いたかったんだろう?
こんな急な母との別れなんて、想像もしていませんでした。
来年2月に父の7回忌なので、母とも「法要いつにする~?また、お寺さんに連絡しないとあかんね」と、つい先日も話してたところで、父は食道癌でしたから、ある程度心の準備みたいなものはありましたが、母に関しては全く準備も何もあったものではなく、今日で二七日目てすがまだ信じられない心境のままです。
私も高3迄習っていた、親子二代でお世話になっている先生ですので、母のことも知ってくれているのでまずレッスン始まる前に母の死を伝えました。
先生も本当にびっくりされてました。
当時いつも私のレッスンについてきていた元気はつらつの若かった頃の母を今もよく覚えてますよ~と先生もおっしゃってくれました。
孫は私の娘たった一人なので、生まれてから17年間、本当に孫のことを愛してくれ、ピアノを応援してくれて、またこれから1年半後、娘が希望する大学に入ってピアノを続けていけることを、その成長をこれからもずっと見続けていきたかったでしょうに・・・
先生も、「きっとおばあちゃん、今もこの辺でピアノを聴いてくれてるわよ。しっかり頑張って、再来年ちゃんと大学合格するように頑張らないとね!」と、娘を励ましてくれました。
ピアノの先生に母の死を伝えたことで、少しだけ心が軽くなった気がしました。
亡くなったショックよりも、警察の人たちのあの取り調べのようなザワザワ感がどうしても頭から離れなくて。
あちこちの引き出しや、あらゆるところを調べまくって、貯金通帳や現金の入った紙袋などを探し出してきて、私へいろいろ質問するものだから、母親が亡くなってまずは私が疑われてる!?のショックが大きくて、出棺の時も、火葬場での最後の別れでも、まだちゃんと泣けていなくて・・・
母が私に送ったLINEのバイバイっていうスタンプの欄も、私が帰った時刻の証拠として、そのLINEの所写真に撮ります!と、警察は母と私の両方のスマホのそこの写真を撮って帰りました・・・
6年前の父の時は、お棺にすがって泣いたのですが、今回母との別れではまだ涙が思いきり出てこなくて、自分でも「なんて薄情な娘なんだろう」と思ってしまいます。
もっと平素から優しくしてあげればよかった。
あんなきつい言い方しなかったらよかった。
とにかく、後悔ばかりです。
娘が今もピアノを続けてこられてるのも、私たちが今このように生活してるのも、本当にすべて母のお蔭なんです。
心から母に感謝しても、お礼を言っても足りないなと、ほんと改めて思います。
孝行したい時に、親はなし・・・
よく言ったものですが、まさにそうだなと痛感してます。
娘もかなりショックを受けてますが、やはりこれからはなんとしても勉強とピアノを頑張って、娘が一番行きたいところに合格して、1年半後大学生としての姿を見せることが、母への一番の供養だと思うので、そうなってくれればと願います。
出棺の時娘が、
「また、私のピアノこれからも聴いててね♪」と言い、泣きじゃくっていました。
79年間の母の人生、見事で立派だったよ!と言ってあげたいです。
やっと少し落ち着いて、ブログに記しておこうという気持ちになりましたので、久しぶりに綴ってみました。
明日が普通に来る!また、会える!ってことが、当たり前てばないってことが、母の死でよくわかりました。