今年はコロナで人と人との直接な出会いが
以前のようには出来なくなりました。

そのような中では、病の方は面会も制限されて
どんなに寂しい思いだったかと思います。
義母も昨年夏に倒れて、入院生活から施設でリハビリをし、この春には施設に入りました。
面会禁止のなか、食事介助に通い今までの嫁姑を越えて気持ちの通い合いが起こり、今まで感じなかった愛おしさが心に広がりました。
秋に入院したものの、レビー小体型認知症のパーキンソン症状が進み、看取りの段階と言われて施設に戻りました。
それから5週間、義妹や主人と面会に通い続け、静かに息を引き取りました。
最後の5週間はとても穏やかに落ち着いていて、輝いても見えて、もう一切の愚痴もなく笑顔で楽しいことを思い出したり、歌ったり、
そして「ありがとう」をいっぱいいっぱい言ってくれました。目を開いていても意識が何処かへ出かけている様な時も度々ありました。
85歳の人生を生ききった姿に、命の重みをこんなに感じたことはありません。食事もとれなくなり、水分さえも呑み込みが出来なくなっても静かに穏やかにそこに義母はいました。
そして、私が義母の知らせを施設から受けたのは14日の未明、0:50でしたが、房総からの高速道路で電話を受けました。
父が倒れて駆けつけて、救急車を呼んで入院して帰宅途中のことでした。
父は88歳。パーキンソン病か正常圧水頭症らしいと診断され、来週には大きな病院へ転院することになります。


前回のブログが13日。
その日の夜から次々と起こる事態に
一つ一つ対処しながらもやっと平常心を
取り戻せた感じです。

この間、がん友のゆさごんが空の向こうに帰りました。
ランチの約束が私のプチイレウスで延期。
やっと約束した日に緊急入院。
ラインやり取りがホスピスに上がって1週間で止まり、義理のお姉さんからの連絡で
知りました。
コロナでなければ会えたのにえーん

次々続く中で、なかなか受けとめきれませんでした。

出会えたことに感謝
歳をとっていても若くても、この世界で
生きていることは皆同じです。
どの命も大切なもの。

この重みと大切さを忘れずに
1日1日をまた新しく生きていきたいと思います。