いつもお世話になっているダイノユリさんのブログです。

私、ずっと
「私は必ずやりとげる」って信じてた。
ユリさんの言葉を借りれば
「結果を出せない自分なんて認めたくない」
って思ってた。

だから、
haruを早産で亡くしてからも、
「私が子どもを育てられないなんて認めたくない」
「妊娠しながら仕事できないなんて認めたくない」
「(子どもを亡くしたのに)うつ病になるなんて認めたくない」
「(規定の休職期間を過ぎて)仕事に復帰しないなんて認めたくない」
「職場で『必要とされない』『同僚に迷惑をかける』なんて認めたくない」
「不妊治療と仕事を両立できないなんて認めたくない」



でも、
結局現実は動かなかった。
(妊娠しなかった)

だから、諦めてみた。
「不妊治療と仕事の両立がつらい」
→「適応障害で仕事を休んだ」
「妊娠中に仕事をする勇気がない」
→「妊娠を機に仕事を辞めた」


haruを亡くしても、
「仕事に復帰すること」
「妊娠しても仕事を続け、産休育休を取って仕事復帰すること」
にすごくこだわってたのに、
すべてあきらめた。


でもね、
適応障害になって頑張らなくなったら、
いかに自分が『自分自身を酷使してきたか』が見えてきた。
「そりゃ、早産もするわ」
「そんな無理して働いて『私、しんどいんです』って顔で職場にこられても、他の職員迷惑だわ」
「毎日帰宅が遅くて、夫の顔も見れない日ばかりで、そりゃ妊娠しないわ」

そして、
そんなにこだわっていた仕事を捨てた私は惨めかというと・・・
全然そんなこと無い。
何の「結果」もこだわってない自分はとても清々しかった。
そして妊娠・出産できた。


「結果」を求めなくなって、
「結果」を手に入れることができた。


「どーでもいい」は、一見なげやりな表現に見える。
だけど、「どーでもいい」と思えるのは、
自分を信じている証で、
背伸びしない自分をしっかり見えている証だと思う。