あらゆる物には色がある。
厳密にはその物に"色" がある訳ではなく、太陽の光を反射してそのような"色"として見えるだけなのだが、そんなことは今はいいんである。

最近、色というものを意識させてくれる方のブログを幾編か読み、色についてずっと考えていることをちょいと書いてみようと思う。

以前、私が雇われ店長をしていたスペインバルに、二人とも視力に不自由のある御夫婦が、乳飲み子を連れて来店いただいたことがある。

母親の胸に抱かれた赤ちゃんは初めて目に入るものだらけなのだろう、不思議そうにキョロキョロと店内を見回している。

席へ案内し、メニューの大まかな説明をすると

「○○ってどのぐらいの量でしょうか」

そう聞かれた私は両の手で大雑把な丸を作り、「このぐらいの大きさの器に・・」と言ったところでハタと気付き、こう尋ねた。

「失礼なことをお伺い致しますが、視力は如何程でしょうか。私が手で示すサイズは認識いただけますでしょうか。」

「いえ、私達は2人とも全盲なんです。」

「そうでしたか。承知致しました。それなら手で大きさを作っても意味ありませんでしたね。では頑張って説明致します!」

そして料理の量、何が食材として使われ、何の調味料による味付けで、どんな色をした見た目なのかをなるべく分かり易く説明をしたのだが、それが理解につながっていたのかは甚だ疑問ではある。


「熱いのでお気を付けください。」

そう言いながらオーダーされた料理の幾つかをテーブルに置き、彼らの手を導いてその場所を覚えてもらい「ごゆっくりどうぞ」と告げ立ち去りかけたところ、フト(赤ちゃんはどうするのだろう) と思い、テーブルへ振り返るとお母さんが抱っこ紐で胸の前に赤ちゃんを抱いたまま食事しようとしている。

私は踵を返し、申し出てみた。

「あのう。もし宜しければ食事なさっている間、私がお子さんをお預かりしましょうか? 」

「え、いいんですか?」

「いえ、寧ろ抱っこさせてください!どうせ今お店暇ですし、構うものですか!」

ちょっと嬉しそうなお母さんからそおっと受け取ると赤ちゃん独特の香りに包まれる。
いい香りだ。
何故赤ん坊はこんなにいい匂いなのだろう。

お母さんから離れて泣いてしまうかなと思われたが、その全体重をスッと私の腕と胸に預け、キョトンとした表情をしている。
窓際まで歩み寄り、レースのカーテンを開けると、往来を車や人々が行き交っていて、赤ちゃんは不思議そうな表情で、それらと私の顔を交互に眺めている。
おとなしい子だ。

私も小刻みに、一定のリズムで赤ちゃんを優しく揺すりながら路上の様子を見ているとこんな想いが萌す。

料理の見た目を、主に食材と色を基本に説明をしたが、もし彼らが生まれながらに視力がない人生を歩んできたとしたら、色など伝えても意味がなかったかも知れない。
"赤" や "緑" 、"黒" と言ってもそれがどんなものなのか、見当がつかないかも知れないし、そもそも"色" というものが何なのか、それすら具体的なものとしては彼らの辞書には無いだろう。

勿論、知識として、全てのものには色があることや、その存在は知っているかもしれないにせよ、例えば "黒人" と聞いても「黒い人間て?肌の色が黒いとは?」のように仲々イメージし難いのではないだろうか。
言葉は時に無力なのかも知れない。

しかしそれでも、言葉で色を伝えてよかったと私は感じていた。
色や温度、又は何かを生み出すチカラが言葉にはあると思うからだ。
いずれ散ってしまうにせよ、である。

彼らが色の存在を知っていてもいなくても、私の必死の説明を優しい微笑みで聞いてくださっていたし、提供した料理の "色の匂い" は届いたのではないかと思うのは余りにも情緒的に過ぎるだろうか。

・・・・・

そんなことを考えていると

「ご馳走様でした。とても美味しかったです。ありがとうございました。」

との声。

振り返ると、きれいに完食され何もなくなった器やお皿があり、私の耳から胸に届いた感謝の言葉に(こちらこそありがとうございます、ようこそ当店へ)の気持ちが飽和する。

再び母親の腕に包まれた赤ちゃんの嬉しそうな表情が忘れられない。
こんな笑顔を見せてくれるとは。
やっぱりお母さんの腕の中が君の居場所なんだね。

ご両親の、赤ちゃんへ向けた声掛けや態度を見ていると、ご自身達のでき得る全てを使って多くのことを伝えようとする姿勢を強く感じる。

小さな願望だが、あの時の赤ちゃんが子供から思春期を経て大人になる頃、言葉でも、それ以外のことでも、あらゆることを両親に伝えて欲しいし、またそれができているとしたら、嬉しく思う。
今度は君が伝える番だぞ。


「色は匂へど散りぬるを」

色は匂う。
そして散る。
それでも伝わると信じたい。


咲き誇る桜の色を、煌めく空の青さを、山を彩る紅の葉を、大地を覆う雪の白さを、どうしたら目の見えない人に伝えることができるのだろうか。

これからもそのことを考え続けてゆく。