どうやら年が明けたようである。
世間のあちこちでおめでたがっているので、そのくらいは私にも分かるのだ。

さて、年が明けると何故めでたいのだろう。

子供の頃から不思議で仕方がなかった。
誰でもいいから、おめでたい理由を教えてくれと。

偏屈な子供であったことは認めるが無垢で純粋な少年ならではの疑問である。
(自分で言っちゃうのだ)

何となくは分かるのだが「年が明けたんだからめでてぇんだよ!」というのは暴論であり、思考停止であり、論理なき結論であり、理由なき反抗である。

意味もなくジェームス・ディーンが出てきたところで私なりに考えてみた。

「おめでとう」はどんなときに使われるだろう。
出産や試験に受かったとき、誕生日、、、誕生日?・・それだ!

誕生日を迎え、新たな年齢になったとき、ヒトはフェーズが変わるのだ。
変わると思っているのだ。
(「フェーズ」という言葉は一度使ってみたかった)

あたかもRPGで「チャチャチャチャッチャッチャーン!♫」の音と共に主人公のレベルが上がるように。

そしてそれはめでたいことだと。

となれば、現代の日本は満年齢でカウントするが、以前は数え年であったところがキモなのではないか。

数え年は生まれた時に1歳、次の1月1日が来ると2歳になる訳で、(12月31日生まれのヒトは翌日2歳というのも今の感覚からすればもの凄い話である) つまり我々全員、新たな年齢になるのは年が変わった瞬間だったのだ。

昔は栄養状態も、医療体制も決して良いとは言えず、実際平均寿命も短かったはずである。

そんな中、新たな年齢になるのはひとつ壁をクリアしたようなもので、「年が明けた。お互い生きて年を越え年齢が上がった。おめでとう自分!おめでとう貴方!」という意味合いがあったのではないだろうか。

その名残が現在の「明けましておめでとう」になっているのだ。
と言い切ってみた。
そうに違いない。

「じゃあ聞くけど、英語圏でいうところの"Happy New Year"はどうなの?やはり新しい年を寿いで(ことほいで)いるではないか。それともなにか?昔は彼らも数え年だったとでも言うのか?」

・・・。

そんな鬼の首を取ったかのように責めないで欲しい。
間違った考察だからといって投稿しようとここまで書いてきた文を破棄するのは惜しいではないか。

出鱈目なことですら何度も投稿してきた私だ。
どうと言うこともない。
アップしてしまえ。

しかし、いい着眼点だと思ったのだがなぁ・・・

ま、こんなテイタラクなんである。

※写真はフリー素材を拝借させて戴きました。