ドイツはバイエルン州の州都、ミュンヘンからSバーン(街と郊外を結ぶ電車)とバスを乗り継いで小1時間ほどのところにそれはある。

バスを降り、容赦のない日差しが肌を焼く快晴の下、土埃の舞う未舗装路を歩いていると、地面から暑さが這い上がってくる。
めまいがするような眩しさの中、道端に鮮やかな黄色の花がそよいでいるのを見て、風があることに初めて気づく。

海から離れている地方にしては珍しく湿度もあるせいか、それまで風が吹いていることすら分からないほど不快指数が高く、また日陰になる建物もない。

サングラスと帽子の用意をしなかったことを後悔し始めた頃、塀に囲まれた施設が見えてきた。

丁度その上空を一羽の鳥が羽ばたくこともなく気持ちよさそうに滑空している。

(この暑さの中、いったい君は何処へ行くんだね?もしかして場所を教えてくれている?)


ここはダッハウ強制収容所と呼ばれる、ナチスドイツが最初に作った、つまりは最も古いユダヤ人強制収容所と言われている場所だ。

元々、廃工場を改造して作られたものだが、後のアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所などのモデルにもなった施設である。

敷地内に入ると背の低い、昔の小学校のような平屋の建物が連なっている。

収容棟の中は復元されたものとはいえ、当時の生活環境の悪さを想像することは難しくはない。

木枠で囲まれたベッドは3段ほど重ねられ、寝るスペースは長さはあるが幅がかなり狭い。
また、ベッドそのものが独立して隣のベッドとの間が空いている訳ではなく、厚さ数センチの板で区切られているだけであり、その簡易的な"箱"のような空間が各段10床といったところか。

つまり、独立した3段ベッドがスペースを保ちながら10あるのではなく、板で区切られた就寝の為の空間が30床ほど上と横に繋がっている棚のようなものなのだ。

その"棚"がいくつもの部屋にある。
その日生きながらえた安堵の気持ちと、そう遠くはない自身の「その日」への覚悟が入り混じる中、身体を横たえていたであろう人々のことを想像する。

トイレは、例えば現代の商業施設などで見かける、大きな円柱の周りにぐるりと一周ベンチを設えてあるものがあるが、そのような形であり、その座る部分(硬く平らな木製である)に50cm程の間隔で穴が空いている。

その穴に用を足すのだ。
勿論、プライバシーは配慮されていない。
広い部屋の中程にそれはただ置かれているだけであり「個室」の概念はそこに無い。

ガス室も未だに残っていて、その部屋の天井は高さ2m強と言ったところだろうか、やたら低く、またシャワーの出口のような小さな穴が無数に開いている。
それもそのはずで、表向きはシャワー室の建前で設えた処刑の場なのだ。

その部屋の片隅に当時の写真が展示されていて、そこには多くの屍が折り重なるように小さな山型に盛り上がっている。
悲惨な写真。

その写真には窓が写っているのだが、写真が展示されているすぐ後ろの窓枠がそっくりなことに気付く。

ハッとした。
つまり、私の足元に数十年前、夥しい遺体の数々があり、その場所に私は立っていたのだ。

思わず少し後退りする。
数多の人間が命を落とした場所なのだと改めて思う。

そして焼却炉も展示されている。
小さいが一目で堅牢と分かるレンガ造りのそれは、人間を最終的に「処理」する為のものとして、その機能だけを持つ「ただの装置」然としていることに恐怖を感じる。

また、極限状態に人間を置くとどうなるかなどの人体実験でも悪名高いダッハウ強制収容所だがその詳細は省く。

これが人間が人間にしたことなのだ。

重くなった気持ちのまま外へ出ると、太陽は益々輝き、一向に温度の下がる気配はない。
これでもかと言わんばかりに投げつけてくる灼熱を全身に受け止めてみる。

(暑いな。暑いが、、どうということもないか。)

そんなことを感じていると、再び一羽の鳥が上空を滑空していることに気づく。
見つめていると、2度ほど旋回した後、どこか知らない遠くの空へ飛び去って行った。