雑踏の中に立ち、目の前を通り過ぎて行く人々を見るともなく見て思う。



この人でも無く、そこの人でも無く、あそこにいる人でも無い、別の人物と私は意気投合し、楽しく過ごしてきた時間があり、時に自我を曝け出しもしてきた。




我々は生まれる時代も場所も選べない。


そもそも生まれてきた事が二度とはあり得ない程の偶然だろう。

時代がズレていれば会うこともないだろうし、同じ時期に生を受けていても地球の反対側に互いが生まれていれば、出会うことはゼロではないにせよ、シンクロすることはホボないだろう。



そんな中、気の合う友と知り合えたのは奇跡なんだなと。


好きだと思える人と出会えたのは天文学的確率なんだろうなと。


友人の少ない私は尚更そう思う。

当然ながら嫌なヤツと会ってしまうのも天文学的確率なわけで、何故よりにもよってと思うが、そこは残念と一度嘆けば良い。
自身の行く末にはなんら関係のない者であり、拘るだけ時間の無駄だからである。



勿論どの時代、どの場所に生まれても、親しくしたり好きだなと感じる人はいるだろうし、愛しい人も現れるだろう。

だが、今現在の大事な人達とは会うことはなかったわけであり、そう考えると愛おしくなるというものである。

しかしそうなると決して会うことはない側の彼等はどんな人達なのだろうという興味も少しは湧いてくる。

湧いてはくるが「決して会うことはない」人とは絶対に会えないのだから、考えても仕方がない。
無い袖は振れないのだ。
(使い方が間違っているのは分かっている)

目の前に現れなかった事柄と比較して、現れた事柄を運命と思う程、感傷的な精神は持ち合わせていない。
只々、知り得た事々や人達との出会いを味わいたい。

綴っていたら会いたくなってきた。

友人に。