ある国に入ろうとする時には入国審査というものがある。
この国に入っても良い人物かどうかをチェックするのである。
「今日はどこから来たんだね?」
その日、インドのニューデリーからのフライトで花の都パリに着いた私は審査官にそう聞かれた。
「ニューデリーからです」
「ニューデリー⁉︎」
「ウイ」
(そうだよ。パスポート見れば分かるでしょ、出国のスタンプあるんだし。フランス語で答えてやったぜ)
すると審査官は首を斜め後ろへ伸ばしながら
「おーい、コイツ頼むわ」
的なことを誰かに告げたのだ。
すると2人の制服を着た職員がやってきて
「ムッシュゥ、こちらへお願い致します」
と別室へ連れて行かれてしまう。
あまりに素晴らしい入国者なので、特別室で歓迎を受けるわけではなさそうである。
何かイケナイものを持っているのではないか、インドでそういったものを荷物に隠したのではないかとの疑いをかけられたわけだ。
噂に聞く、パンツまで下げさせられたという訳ではないが、荷物の全てを晒すことを要求される。
お土産にと買った紅茶の茶葉が出てきた時、担当官が少しだけ色めき立ったように感じた。
「これは?」
「見ての通り紅茶ですよ。」
茶葉を手に取りにほいを嗅いだ担当者は
「お、おう。。こりゃ紅茶だわ。」
疑いが晴れ "特別な"部屋から出る時
「まったくなぁ、インドから来たって言った途端にこれだもんな。」
と恨みがましいことを言うと
「こっちも仕事だからさ」と言わんばかりに両手を広げ肩をすくめるのだった。
その後も幾つかの入国審査で別室に招き入れられることが何度かあり、何故だろうと思っていたが、今当時の写真を見ると「コイツは怪しい!」と思えるような見た目である。
国籍不詳のヒゲ男なのだ。
勿論、ヒゲを生やしている人物なら仕方ないといっているワケではない。
当時の私はあまり一般的な日本人には見られることがない為だろう、パスポートを提示を告げられ、見せると「なんだ日本人か。行っていいよ。」とすぐに放免になることも多いのだが、何だか複雑な心境である。
入国審査といえば、エジプトから陸路でイスラエルへ行った時に、なかなか興味深いことがあった。
エジプト側の出国審査室は古い西部劇に出てくるバーのような木造とレンガ造りの安普請で、所謂現代文明が届ききっていないと感じたものだ。
出国後、4〜5分歩きイスラエル側の入国審査へと向かうが、そこはもういきなりヨーロッパ。
部屋が明るく、清潔感に溢れている。
5分前までアラブ世界にいたのにまるで違う場所へ瞬間移動したようなものだ。
どこでもドアは実在したのである。
さて、その入国審査の列の人になり、順番を待っていると、建物の中にあるゴミ箱というゴミ箱、何かの容れ物という容れ物の蓋を開けて中を確認して回っている若い男性がいることに気付く。
制服を着ているわけでもなく、カジュアルな白のニットを軽やかに羽織り、下はジーンズである。
(ああ、爆発物とかのチェックなんだろうな。しかしカジュアルな格好だな。学生のバイトかな?)
と思っているとその男性がまたやって来て、再び私の目に入る幾つかのゴミ箱の蓋を開けて回っているのだ。
さっきチェックしたばかりのところを、だ。
3分ぐらい前に来たよね?
そんな頻度で危機はやってくるのかい?この国は。
実際イスラエルは"取り敢えず"安全な国ではある。
外へ破裂しようとする熱量は多いが、それ以上のチカラでタガを嵌めているからだ。
イスラエルの建国にはかなり無理があり、その詳細は省くが、その皺寄せは先住のパレスチナ人たちの元へ寄せられてゆく。
その鬱屈した不満の総量はかなりのものである。
当時を遡ること15年ほど前だろうか、テルアビブの空港で3人の日本人が銃を乱射して多くの死傷者を出した悲惨なテロがあったのだが、その3人はイスラエルに住むアラブ人、特にパレスチナ人にとって英雄であり続けている。
本来イスラエル・パレスチナ紛争とは関係のない遠い極東の国からやって来た若者がアラブの大義の為に命をかけてアタックしてくれたというのがその理由である。
うち2人は現場で死亡するのだが、存命である最後のひとり「O.K」について語る人々の目の輝きはほぼ彼を神格視しているようにみえた。
世界を震撼させたその事件の後も、オリンピック選手村テロ事件、航空機ハイジャックや大使館占拠など、世界各地で歴史に爪を立てるかのような暗い事件が頻繁に起こるようになる。
二大国による冷戦や、持つものと持たざるものとの歪みが世界の其処此処で起こり、ルサンチマンの塊のようなマグマがその亀裂から噴出していた時代であった。
しかしながら、革命を起こすにも数多の人々の認知や支持がなければ無理であることを何故気が付かなかったのだろうと思う。
とまれ、時代は変わり21世紀に入って既に1/5が過ぎた。
時代は変わったのだろうか。
確かに年代は変わる。
そして出現したハードウェアは驚異的な進化をしてみせた。
翻って、ものの感じ方や人心はどうだろう。
現代の歪み、そして燻りは今どこに。
変わったのは時代なのか、ニンゲンなのか、それとも自分なのか。