唐突だが、どんなパンツを穿いているのかは重要である。
何に対して重要なのかはよく分からないが、なんとなくそう思うのだ。
因みにパンツと言っても
「今秋トレンドの若干テーパードしたパンツです。」
のような、我々が(いや、私が)「ズボン」と呼ぶようなものでなく、「ズボン」の下に穿く正調パンツ、下着のことである。
全裸というのはとても不安であり、そいつから逃れる為にまず手にするのはパンツではないだろうか。
「いや、私は先ずネクタイ」という人物がいたらお目にかかりたいものだ。
「パンツ一丁」「パンイチ」という言葉があるが、「安心してください、穿いてますよ」と言う人がいるようにパンツは最後の砦感があり、そのキワのところで人物を表現するものなのではないかとフト思う。
食事の仕方でその方の人となりが分かるように。
(個人の感想です)
普段我々はパンツを穿く。
ろうにゃくなんにょ穿くだろう。
中には「ノーパンです」派もいると思うのでその方達はちょっと席を外されたし。
どんな服を身に纏うかは一見して分かるし、「よく似合ってるな」とか「お洒落じゃないの」とか「服に着られてるぞ」とか「ほんのりダサい」などの感想は容易く生まれる。
だが、どんなパンツを穿いているのかは皆目分からない。
分かるのは家族ぐらいのものだろう。
中には家族以外の者にも見せたりする人も色々な状況であるだろうがそこは深入りしますまい。
ご苦労なことである。
「そんなもん分からなくていい」との意見はごもっともだが、少し考えてみたい。
自分は何故、このパンツを買ったのかと。
数あるパンツ群の中から何故風呂上がりにコレを手に取ったのかと。
それを選び、買ったのはその人の諸々を表しているのではないかということを私は言っているのだ。
勿論、ただ言っているだけである。
例えば人あたりも身嗜みもよく、人物の深さがその全身に表れている、ドの付くような紳士が、まさか女性用パンツを穿いているとは想像しにくい。
思いにくいがもしそうなら、それもまた人生だと思うのだ、その人にとっての。
あらゆる人間・男女LGBTQIAが、どんな形の、色の、柄の、素材のパンツを選び、買い、またくたびれ切ってヘロヘロのそれを、その日穿いている理由はなんだろう。
(まぁ、ヘロヘロパンツは穿きやすいというのが大方の理由だろう)
恐らくパンツローテーションなるものがあり、中4〜5日ぐらいの登板間隔になっているのではなかろうか。
🩲××××🩲×××××🩲
のように。
これは4〜5枚しか持っていない訳ではなく、沢山持っていたとしても頻繁に手にする、いや股にするものは限られてくる気がする。
(「なかろうか」だの「気がする」だの一般論として言ってる風を装って、自分のことを赤裸々ってしまっていることに気付く)
なんとなくパンツで人となりが分かるのではないだろうかという疑問が生まれてしまったまま、そしてパンツの考察を通して世相を斬りたかったが、全く斬れないまま、なんとなく話の終わりを迎えるのはいつものことである。
正直、どんなパンツを穿くかなんぞ何の意味もない可能性は高く、どうでもいいことの極みだなと、ここまで書いて気が付く。
否、ここまで書かないと気が付かない。
それもこれも"あつさのせい"なのである。
8月2日パンツの日に寄せて。
(8月2日の「パンツ」は私が言うところの「ズボン」を意味するのだとしたら、寄せる意味もなく)