ある程度年齢を重ねてくるとあらゆる事の選択肢が減ってはくるのだが、減ってくる分、チョイスに悩むことも少なくなるということに気付いた。
若い頃はどれを選ぼうか、どの道を征こうかそれなりに悩めるけれど、選択肢が少なくなった分、ある意味とても楽である。
それはそうだろう、100の中からひとつを選ぶのと、3つの中からひとつを選ぶのはどちらが楽かと考えれば、答えは自ずと明らかなのだ。
「大きくなったら何になりたい?」
昔は良く聞かれたその言葉だが、そう聞かれることがめっきり少なくなった。
いや、めっきり少なくではなく、全く無くなった。
何故ヒトはそう問うてくれないのだろう。
分かっている。
もうそんなお年頃ではないからだ。
それは選択肢がホボ無限といっていいほどあり、且つそのベクトルはあらゆる方向へ向かっていた若者への問いである。
今からジャニーズ事務所に入ってアイドルを目指すという選択肢は勿論、プロレスラーになろうという道も完全に閉ざされている。
今から名人になる為、将棋教室に通い始めるとか、内閣総理大臣になるべく根回しをするなどということも無理である。
中年を越え、老年になろうとしている者に「大きくなったら何になりたい?」なぞ聞く人はいないのだ。
しかし、である。
幾つになっても「○○になりたい」と云う願望があっても宜しかろう。
選べるものが少ないなら、踏ん切りも早いと云うものだ。
今選べることに早速取り掛かればよいのだ。
という訳で私には、なりたいものがある。
自分のやり方で表現したいことがあるのだ。
そんなことができる日はやってくるのだろうか。
というより、こんな年齢になっても未だになりたいナニカがあるなんてなんと楽しい時間を過ごしているのだろうと思った。
たった今。
書いていて気付いたのだ。