柿の種というものがある。

と改めて言うのも憚られるぐらいにある。

柿の種そのものは辛味のあるお煎餅(? あられ?おかき?)のようなものだが、大抵の商品はピーナッツも混ぜて「柿の種」として売っていることが多いだろう。

その割合だが以前は柿の種6、ピーナッツ4だったのが、現在では7 : 3になっているようである。
(亀田製菓の場合)
私の好みで言えば5 : 5ぐらいにして欲しいのだが、7 : 3は消費者アンケートの結果というのだから仕方ない。
民主主義の世の中だ。

そして思うのだが、7粒の柿の種と3粒のピーナッツを口中に放り込み咀嚼する時、ピーナッツの味を感じると柿の種の美味しさが確立されるような気がするのである。

何を言っているのか分からないであろう。

柿の種だけを味わうより、ピーナッツの味を認知した時に、「ああ、柿の種は美味いな」と感じるのではないか。

つまりAを食べている時に、Bの美味さが分かるということである。
ピーナッツに柿の種を構成しているものはないが、ピーナッツが柿の種の美味しさを引き立てていると。

ピーナッツを
喰みて知る也
柿の種

のような感じだろうか。
(何だそれ)

少ない方の味わいで多数派を知るような。

これはサルトルが言う、「三日月の価値は欠けている部分にある」と似た感覚ではないか。

また、人間も完璧な者など居らず、しかしその「欠けている部分」こそ、その人の価値だと言った人もいた。

「欠けている部分」を咀嚼することによってその人の
「美味しさ」が分かるようなことだろう。

ビールを飲みながら柿の種を(コレ美味いな)と思いながら食べていたところ、暇だったので柿の種、並びに人間の旨味について強引な考察をしてみた。

ま、言いたいことは柿の種とピーナッツを一緒に食べると美味しいよねってハナシなんである。