駅の外へ出た途端、サイクルリキシャと呼ばれる乗り物(所謂、人力車を自転車で牽引するようなものであり、手軽にタクシー代わりに利用できる)の御者10人ほどに突撃を受け、口々に

「どこ行くんだ?安くしておくぞ」
「ガイドもしてやるぞ」
「安い宿に連れて行ってやるぜ!」

等々売り込みの嵐の中へ引きずり込まれるのは、ここインドではいつものことだ。
(どうやらここはインドらしい)
まるでマスコミに囲まれる大スターのようである。

そんな中、後ろの方で売り込みに参加しているんだか、していないんだか微妙な位置に、これまた微妙な表情をしている気の弱そうなおじさんが目に入ったので、近付いて目的地を告げてみた。

周りの血気盛んな連中が

「そいつより俺の方が安いし、いい宿を知っている」
「俺のとこにきなよ!」

とアピールしてくるが、そんなのは無視である。

おじさんは
「ん〜30ルピー。」

「それは高いよ」と私。

「じゃあ、25」

「いやいや、○○までだよ?いっても7ルピーぐらいじゃない?」

「20ではどうかな」

「じゃあいいや」

立ち去ろうとすると、それまでおとなしくしていたおじさんは初めて自分から動き、腕を軽く掴まれる。

「15にしておくけど」

「8はどう?」

「12」

「10ならいいよ、嫌なら他の人を探す」

「・・・分かった。10でいい」

「10しか払わないよ。向こうへ着いてあと10とか言ってもダメだかんね?」

交渉成立。

リキシャは自転車で引くもの以外にエンジン付きのバイクで引っ張る屋根付きのオートリキシャ、通称トゥクトゥクがあり、当然のことながら自転車の方が値段は安い。

大抵、安い宿を紹介する、いいお土産物屋に連れていく、ガイドをする等のオプションを移動しながら提示してくる。

そして自転車のリキシャワーラー(リキシャの御者)は年配の人が多く、私が選んだ人もかなり年配で痩せたおじさんだ。
いや、おじいさんと言って良いかも知れない。
値切られたとは言え、自分を選んでくれたことが嬉しいらしくニコニコ微笑んでいる。

よっこらしょという感じでペダルを漕ぎ始めるが、スピードに乗った頃、登り坂になるとそのペースは落ち、だから速度も遅くなって止まりそうである。

サドルからお尻を持ち上げ、立ちながら漕いでいるが苦しそうな様子。

黙って見ていた私の視線を感じたのか、軽く振り向くと、(まぁ、任せておきなよ、若い人)そんなニュアンスの笑みを見せる。

何とか坂の頂点を越え、下り坂になるととても楽なのだろう、漕ぐのをやめて、リキシャが下っていく勢いに任せている。

ところが道は我々のリキシャだけが走っている訳ではない。
車もあり、バイクがあり、自転車があり、そして牛もいるのだ。

勢いよく道を折れたまでは良かったがそこに痩せた牛が立っていた為、リキシャは急停車。
追い抜こうとしても反対側の流れもあり、牛の後ろに停まるしかない。

(あーあ、せっかくいい感じで走ってたのに止まっちゃったよ。)

おじさんが牛に向かって何かを叫んでいる。
それに気付いたのか、横目で我々を見た牛は「チッ」という感じで少し歩き出す。

できた隙間と反対側の流れが切れるタイミングを捉えたおじさん。
その痩身の全体重をペダルにかけて漕ぎ出そうとするが、しかしなかなか前に進まない。

かなりシンドそうである。
気が付くと、汗が首筋からすうーっと流れ落ち、着ているクルタの背中に滲んでいくのが見える。
身に纏う布は、恐らく元は白だったのだろう。
だが今は紅茶で煮締めたような色合いに変色している。

骨張った細い脚は客を運ぼうと必死だ。

後ろで踏ん反り返る若い外国人と、自転車を漕ぐ痩せたおじさん。
途轍もなく居心地の悪さを感じた私は、日本円で僅かな金額を値切ったことすら申し訳なく、また気の毒に思い始めていた。

しかし、それはリキシャを漕ぐことを生業にしている者に対して失礼な感情なのかもしれない。
彼は個人事業主で私は客であり、お互い納得した上で商談成立をみた結果、私は目的地まで行くことが出来、彼はお金を得るのだ。
私が乗らなかったら本日の売り上げゼロの可能性すらあるだろう。
リキシャワーラーの矜持をこちら側が折るわけにはいかないと思った。

リキシャはやっとスピードに乗って走り始める。
少し陽の傾いた夕方の風が頬に心地よい。

目的地まではもうすぐだ。