私がまだ歳若く、いろいろな国へ目的もなく旅をしていた頃のこと。

その街は年間降水量も殆ど無いに等しく、乾燥しきった街だったのだが、珍しく私が滞在していた10日間のうち4日ほどの間 雨が降り続き、だから排水のことなど考えずに造られていた街は、あちらこちらで浸水し、大きな水溜りが沢山できていた。

そんなふうに雨が続いた後の、雲の隙間から太陽がやっと姿を見せた、少し湿気を感じる午後。

街を歩いていると一匹の犬が器用に水溜りを避けながら私を足早に追い越していき、10mほど先の角を左へスッと曲がって行く。


何の躊躇いも見せず、あたかも初めからそこを曲がる意志があったかのように。
まるでその先に用があるんだよと言わんばかりに。

(犬もこの街のどこかに用事があるんだな。お前は雨を見るなんて初めてのことなんじゃないのかい?)

そんなことをぼんやりと思う。
自分は目的も当てもなく歩き、自分のいるべきところも分からず、さしてするべき用事など無く、何処を曲がるか、これからどう生きていったらいいかなど何も考えず、フラフラしているだけなのに。

(これから自分はどうなってゆくのだろう)
そんな想いが脳内を駆け巡る。

犬が曲がって行った角まで来たので同じように左に折れてみる。
行く当てもないのだからどこを曲がったっていい。
 
すると目に飛び込んできたのは、射し始めた太陽の光を受けて雨上がりの街を大きく跨ぐようにかかる鮮やかに発色した虹だった。

とても綺麗だ。

まさかあの犬はこの虹を見る為にここを曲がったのだろうか。
いやそんなことはないだろう、犬は色の識別ができないのではなかったか。

子供の頃、虹には夢の世界への入り口のようなイメージを持っていて、そしてそれを見つけると何をしていても、友達と遊んでいても中断して、その入り口まで行こうとしたことを思い出す。
勿論、友人も同じ気持ちだ。


しかし自転車のペダルを足が痛くなるほど漕いでも漕いでも虹は近寄ってはくれない。
まだ見たことのない、新しい魅力的な世界の入り口へは簡単に辿り着けないことを知ったものだ。

そんな想いに耽っていたせいで、ほんの暫く忘れていた犬のことを思い出す。

こうべを巡らし、目で探してみたが、もう何処にも犬の姿は見当たらない。

(あの犬が角を曲がらなかったら俺はこの虹に気付かなかったかもしれないな)

そんなことを頭の隅で思いながら、アーチを描く夢の世界の入り口へ向かって、ゆっくりと歩きはじめた。

辿り着けないことはよく分かっているけれど。