1962年「Love me do」でデビューしたビートルズが1970年に解散するまで世界を席巻し、現代音楽史に影響を与え続けてきた事は論を俟たないだろう。

世界中で彼らの楽曲をカバーするアーティストがいたし、日本に於いても音楽の教科書に「Yesterday」が掲載され、又ビートルズのコピーバンドが結成されたぐらいである。

そこで今回の記事の主役。
東京ビートルズである。

このバンドを「ビートルズのコピーバンド」と呼んでいいものか悩むところだが、あるバンドの楽曲をコピーして演奏するという定義には何とか当てはまるのだろう。

(実際には演奏しておらず、歌だけというハナシもあるが。。)

コピーバンドは和製英語であり、今風に言えばトリビュートバンドかも知れないが、当時はまだそんな言葉は一般的ではなかったように思う。

東京ビートルズは当時の他の歌手達がそうであったように、海外の曲に日本語の詩を載せて歌うという形を取っており、その日本語の歌詞が良く言えば「新鮮」悪く言えば「笑っちゃう」である。

洋楽そのものが日本に入ってきて間もない頃は、解釈やサウンドメイクを含む表現の仕方がそれまであった邦楽の方法論で成されていた為か、とても目新しい作品であるし、特に歌唱の部分にそれは現れていると思う。

それについて大滝詠一氏の考察が興味深い。
抜粋させて戴く。

一☆一☆ 一☆一
(前略)

ロックは楽譜で表現できない、いわば筋書きの無い音楽であって、やむを得ず、もしくは無意識に、その前の時代のサウンドで解釈してしまったことが結果的に東京ビートルズサウンドの特徴である。

(中略)

「プリーズ・プリーズ・ミー」冒頭のコーラスパートでの、「やーさーしーさーをーかーくーしーてー」の一本調子が「とーとーさーまーはー」という娘浄瑠璃を思い起こさせて、なるほど文化というものは深いものがあり、こういうところにも顔を出してしまうのかと感心し、新しい音楽(歌唱法)を必死に取り入れようとする彼らの姿を、「チョンマゲ姿でフォークダンスを踊るのに等しい」、「西洋文明を必死に取り込もうとしていた明治の我々日本人の先祖の姿」になぞらえ、「日本の文化は落語の権助芝居のようなものなのではないか?全ての輸入文化はこの問題を抱えており、こういう表現に計らずもなってしまう恐れがあり、あとは程度の問題であって究極は全員がこの姿なのではないか?」
        
       Wikipediaより

一☆一☆一☆一

大滝氏は自分へ自戒の念を込めてこう述べたともWikipediaには記載がある。

日本人が洋楽の楽曲を演る時に纏うナニモノカを凝縮しエッセンスを抽出して、それが一番表側に現れいでたものだったのかも知れない。

とまれ、初めて聴いた時はかなりの衝撃を持ってこちらの耳に残ったのである、東京ビートルズ。


https://youtu.be/8sQDxjxM2kM