すれ違いは否めない。

と歌った人がいた。

例えば結婚というものは、何十年もの間 違う環境・習慣の中で育ってきた者同士が以後の長い年月を一緒に暮らそうという無謀な試みをするものであることを考えれば、すれ違いがあることは否めないと思う。

勿論相手のことは好きだし、「この人と一緒にいたい」と思うから結婚もするのだろうが、勢いでしてしまうと、後々やって来る寄せては返すさざ波のような毎日がシンドくて堪らくなることもあるだろう。

「なんでこれをここに置くかな」
「これはそうやってやるものなの?」
「○○に△△を入れるなんてあり得ない」

等々、自身何十年としてきたこととは違う行いをする人間が一つ屋根の下にいるのだ。
結婚当初は気にならなかったことも段々と引っかかってくるようになる。

アバタもエクボではないが当初、良いと思っていた熱い想いもやがてヌルくなってゆき、しまいには相手のその所作すら嫌になってしまうこともある。

勿論それはお互い様であり、おそらく相手もそう思っていることだろう。

結婚のリアリズムとはシビアである。

しかしながら。
冷めてしまった熱とは裏腹に、肌で熱さを感じにくい、地熱のようなものが生まれることもあるだろう。
例えば情のようなものを年月が育むのも結婚のリアリズムだと思うのである。