「この盃を受けてくれ
 どうぞ並々注がせておくれ
 花に嵐の例えもあるぞ
 さよならだけが人生だ」

唐の詩人、于武陵(うぶりょう)の"勧酒"。
それの井伏鱒二による名訳である。

子どもの頃、自分が死んだら世界はどうなるんだろう?
いや、どうにもならないのは分かっている。

只々日々は続いてゆくのだろう。
自分がいない世界が来る日も来る日も。
日月火水木金土日月火水木金土日月火水木金土・・・その無限へ連なっていくイメージがもの凄く寂しく、また怖かった記憶がある。

そんな時、ふと目にしたあの詩はなんて寂しいことを言うんだ!と思ったのだけれど、何故か払拭できず、心の何処かに引っ掛かったまま長い時間が流れた。

そして何度も読むうちに、あの詩が持つ小さな礫が我身に刺さっていたことに気付き、またその意味と理解がじんわりと広がっていく。

いつか全ての人にさよならを言う時が来るのはわかってはいても、なんとなくそれは考えたくないと感じていたが、そうか、生きると云うことはさよならと無縁ではないんだと改めて気付かされる。

だからこそ こうして会えた今宵、酒でも飲もう。
遠慮は要らない。飲んでくれ。
今こうしていることの悦び、そしていつか必ず別れる俺たちの為に乾杯しよう。

「サヨナラダケガジンセイダ」