東西冷戦時、西ドイツの首都はボンであり、東ドイツの首都はベルリンだったのだが、そのベルリンの中に西ドイツ領のベルリン、西ベルリンという街もあったのだ。

西ドイツから見れば完全に周りを東ドイツに囲まれた飛び地であり、当時の冷戦最前線のうちのひとつである。

その二つの地域を分けるものがベルリンの壁であり、1991年のソ連崩壊に先んじて1989年に壊されるまで冷戦の象徴とされていた。

文字通り民族を分断する「壁」であり、それは東西に別れる前に市内を走っていたであろう、今は使われていない路面電車のレールの上を横切って作られている部分もあり、レールの先は壁の向こう側へ消えている。

とは言え、西側から東へ入ることは難しくはなく、地下鉄で東のベルリン動物園駅(記憶は朧げであるが)で降り、地上へ上がるルートと、西ベルリンからチェックポイントチャーリーと呼ばれる壁の切れている所にある検問所を徒歩で通過するルートの二つがあり、そこを過ぎれば東ベルリン、東ドイツ入国である。

東に入ると企業や商品の広告がほぼ無くなり、殺風景なことこの上ない。
年季の入った建物、燻んだ色の石畳、走っている車はソ連製。

ヨーロッパに来ると古い石造りの建物や石畳の道路に理由もなく退廃的なものを感じていたが、東側はその比ではない。
全体的に「地味」であり、西側の毒々文化に蝕まれた私の感覚ではまるで別世界に来たように感じる。

物価も安く、お金が減らない。
これはいいことのように思うが、東ドイツ入国時、1日当たり15マルク(当時日本円にして1500円)の強制両替をさせられ、その15マルクがなかなか減らないのだ。
購買意欲を刺激するものもあまり無い。
また西側へ戻って再両替も出来ない。

それならいっそのこと良いホテルに泊まったり、高級レストランに行こうかと思いもしたが、一泊すれば2日目はまた15マルクの強制両替が待っており、また高級レストランなどというものも特になく、(私の歩いた範囲では)使い道に困ったことを思い出す。

バイキング形式のレストランに入り、これ以上は無理というぐらい食べてやろうと思ったのだが、沢山食べても値段が安いし、何より美味しくない。
後にも先にもサラダを不味くて残したのはその時だけである。

細かな記憶はあまりないが、低予算旅行では考えられないほどあの日だけはお金を使おうとしたことを覚えている。

夕方、西ベルリンに戻り、空腹を満たす為に食べたハンバーガーと、喉を潤すビールは「西側の味」であった。
身体に悪いもの感はあるが、その堕落した感じも私は好きである。

あれから何年も経ち、あのレールはどうなっているのだろう。
勿論、今は壁もなく統合ドイツの首都としてベルリンはある。