はやる気持ちを抑え切れず、地下鉄の出口階段を駆け上がる。
外に出たらその向きのまま立ち止まる。
まだそのままだ。
そして軽く呼吸を整えたのち、ゆっくり後ろを振り返える。
 
そこには異様な、しかし美しい姿で教会が天に向かって聳え立っていた。
 
スペイン・バルセロナに建つこの教会こそ建築家アントニオ・ガウディによる作品 「聖家族贖罪聖堂」、ラテン語で「サグラダ・ファミリア」である。
 
この教会に限らず、ガウディの作品のいたるところに使われている甘美な放物線は見る者を宇宙へと誘うようだ。
これは一本の鎖の端を両手で持ち、下方へ自然に描かれた放物線をそのまま天地逆にした形なのだ。

つまり天からの引力。
それは 人が生きている時は地上におかれ、死後はまるで魂が天へ引き上げられているかのようなイメージだったのだろうか。
このカテナリーと呼ばれる懸垂曲線はガウディを語る上で最も重要な形の一つとされている。
 
しかし、である。
俄かには信じ難いが、このサグラダ・ファミリアは主に直線で構成されていると言うのだ。
この曲線だらけの建造物の何処に直線があるのかと思うが、巧みに隠されているらしい。

自然の引力が描く放物線と隠された直線と。
そしてまだまだ多くの知恵や謎が隠されていると言われている。
 
そしてガウディが最終的に夢見ていた構想が、この教会を楽器にすることだったという。

84本の鐘を吊し、打楽器を設え、それを電気仕掛けで鳴らし、聖堂内のパイプオルガンと共に演奏し、高さ100mを超す巨大な楽器を聖堂本体が共鳴箱となって響かせ、祈りを捧げる信者を包み、窓から放たれた音はバルセロナの街に降り注ぐ。


なんと壮大な構想なのだろう。
やはり天才と言う以外に言葉がない。
 
実はこの教会、詳細を記した設計図がない。
ガウディの死後、引継いだ建築家達が遺された模型やデッサンを素にそれぞれの解釈で創り上げている。
 
このサグラダ・ファミリアがライトアップされる瞬間を見た事がある。

月も無く、数えるほどの星しか見えない夜の闇に建つ姿は 威厳があり、伏魔殿の趣きさえ湛えている。

ゆっくりと尖塔まで目を向けるとまるでこちらに襲いかかってくるように佇んでいて、いわれのない不安が霧雨のように降りてくる。
畏怖の念とはこのような時の為にある言葉だろう。
 
やがて何処からともなく人がやって来て軽いざわめきがその場を覆う。
それが何かが起こる合図であるかのように感じ "イエスの生誕"と呼ばれる、イエスと彼を抱き上げようとしているマリアの彫刻を見上げる。
 
すると次の瞬間。
スイッチを入れる音だろうか、不思議な音と共に大きな光が放たれ、闇と不安を消し去るようにイエスとマリアを照らし、天使達を照らし、尖塔を照らし、天に向かって教会は再び聳え立つ。
 
そして集まった観客からはどよめきと、少し遅れて拍手と歓声が起こる。

息を飲む美しさとは陳腐な表現だが、実際に感嘆の息を漏らす事ぐらいしか出来ることは無い。
美とは言葉の外側にあるものだと思い知る瞬間である。
 
ガウディは亡くなる直前、仕事を終えたサグラダ・ファミリアの職人達にこう言った。
「諸君、明日はもっと良いものを作ろう」
その言葉こそ今日まで建築家や職人達を後押ししたものではないだろうか。
 
未だ完成を見ないこの教会は今年3月19日に着工以来140年が過ぎ、新たな節目へ突入する。