若い頃の旅というものはどこか遊びを覚えたばかりの子供を思わせる。

勢いだけで行けてしまうのもそのせいかもしれない。

今にして思えば、よく恐れもせずあの場所へ行ったな、あんなことやったなと思うこともある。
それも経験を重ねると独特の嗅覚のようなものと言うか、様々な判断力が備わってくるような気がする。

旅をしていると、旅人同士再会することもある。


「2ヶ月ぐらい前、何処かで会ったよね?」


旅行者がよく行く街、場所というのはある程度決まってはいるので、その可能性はあるのだが、それにしても何千kmも離れたところで再会するのだ、二度三度偶然にしても会うと一気に親しくなるというものだ。


今は旅のスタイルも大きく変わり、実にスマートになってきている。


何せパソコンを持ちながら、つまり世の中を常に傍に置いて旅ができるのだ。

メールで瞬時に家族や友人・知人と繋がれるし、何よりリアルタイムで顔を見ながら遠く離れた国の人と会話ができてしまう。


加えて、これから行く地の情報はもとより、飛行機の予約、宿の予約、何処ぞの入場券の購入等が膝の上で出来てしまう。
いや、今は既に掌の中で済ませることも可能だろう。

便利な時代になったものである。

以前はガイドブック1冊と旅の先々で得るお役立ち情報を聞いて動いたりしたものだ。


「○○でメシ食うなら△△通りの裏のとこ」
「どこそこの島は穴場で観光客がほぼいない」

「○○のユースの受付にいるお姉さんがとにかくモノ凄い」


家族・友人に連絡を取ろうと思ったら前以て「○月の上旬には何処そこの街に入る予定。よかったら日本大使館に手紙送っておいて」とのハガキを出し、その街に辿り着いたら大使館、若しくは領事館まで取りに行くのだが、手に入れた時の嬉しさは格別であった。


また旅人同士、読み終わった本の交換も良くやった。
それは個人間でする場合もあるし、宿のライブラリーに1冊置いて1冊持っていくとか。
「あれ?それ俺が持ってた本だよ!」と本と再会することもある。

宿が取れない、若しくは予算オーバーなんてこともしばしばあったので寝袋は必須である。
今でもパーカーのフードを被り寝転がると寝袋に包まっている気分になり、星が瞬く旅の空を思い出してしまう。

手作り且つ、手探りの旅だった。

誤解のないよう書き記すが、今のスタイルを批判しているわけでは毛頭ない。
私が旅をしていた頃にPCやスマホがあったら、勿論私も使うだろう。
只々、便利な時代になったと思うのである。

また、旅のスタイルは変わっても、異文化や異習慣、そこから感じ取れる面白さや醍醐味は変わらない。

またいつかあんな旅をしてみたいものだ。