壊れて動かなくなった時計と、正確にピッタリ1分だけ進んだ時計があるとする。


それでも壊れた時計は、1日に2回正しい時刻を教えてくれる。

(その瞬間に人間が見ようが見まいが、正確な時刻を指し示しているのは事実である。)

一方、正確に1分だけ進んだ時計は一瞬たりとも本当の時刻を知らせてくれることはない。
つまり、嘘をつき続けるというワケだ。

一般的には「嘘はよろしくない」ことになっている。

しかし、年端の行かぬ子供にはそう教えるべきだとは思うが、長じるにつれ社会というものを知り、色々なことへの理解が深まって来る頃には優しい嘘、人間関係からくる嘘の存在にも気が付くはずである。
「折れた煙草の吸い殻で貴方の嘘が分かるのよ」と歌う人もいるぐらいだし。



真実だけが世の中にあるのではない。嘘もあり、それが有用であることさえあるのだ。
いや、有用であるか無いかではなく、嘘がある社会の方が懐が深いような気がする。

(勿論「嘘は罪」という場合もある。そんなヒットソングがあるように。)



虚実ないまぜの持ついかがわしさと色気。
清く・正しく・美しく・真実だけなんて、私が生きて行きたい世界とは違う。




1日に2回(も)事実を教えてくれる時計と嘘をつき続ける時計。
人はどちらを選ぶだろうか。